川沿いに進む遊歩道を南へ・・・
南北街道を南へ進み、大正路地へ・・・。
大正路地を西へと進み、大正路地 西側を流れる川のに架かる橋を渡ります。
この橋を渡り終える手前には、小さな祠が・・・。
糸曳き乙女地蔵が祀られていました。
2008年05月06日 (晴れ☆)
0029452km〜029540km
糸曳き乙女地蔵が祀られている祠の前を通過し、川沿いに進む遊歩道を南へ進み始めます。
大正村駐車場に戻って来ました。
続いては、”歴史コース No.11” 光秀公産湯の井戸へと向かいますが、少し離れた場所にある事から、6号機に乗り向かう事にします。
6号機に乗り、大正村駐車場を出発しました。
大正路地 西側の橋を渡ります
大正路地を通り、西へ・・・
南北街道を南へ進みます
大正村役場の裏手を西へ・・・
小川記念館前を通過し、左折・・・
お牧の方墓所の見学と、お参りを終えた所で、お牧の方墓所を出発する事にします。
進んで来た一般道を戻り始めました。
道程で差し掛かる交差点を右折し、玄養寺 石票前を通り大正ロマン館方面へ・・・。
小川記念館前を通過し、左折・・・。
大正村役場の裏手を通り、南北街道へと出ました。
お牧の方の墓所
お牧の方の墓所
お牧の方の墓所
お牧の方の墓所
ようこそ大正村へ
6号機に乗り、大正村駐車場を出発します
大正村駐車場に戻って来ました
交差点を右折し、大正ロマン館方面へ進みます
小川の流れに沿いながら進む一般道を西へ・・・
お牧の方墓所を出発します
お牧の方の墓所 由来
お牧の方の墓所
お牧の方の墓所
敵は本能寺にあり
No.10 お牧の方墓所
お牧の方墓所が見えて来ました
右手側に見える小川沿いに一般道を東へと進んで行くと、背の高い木々の根元に、”歴史コース No.10” お牧の方墓所が見えて来ました。
これより、お牧の方墓所の見学と、お参りを行う事にします。
右側に見える小川に沿う様に、緩やかな坂道を登ります
於牧の方の墓所まで約500m
東へと向かう一般道に乗り換え、東へ・・・
丁字路交差点に差し掛かり、左折します
カーブしながら下り始めました
集落を抜ける一般道を南へ進みます
実は・・・、
秋葉神社だと思って訪ねた場所は、玄養寺でした。。。
故郷へ帰着した後に判明しましたので、今回は秋葉神社を訪ね、参拝する事は出来ませんでした。
次回、必ず訪れたいと思います。
秋葉神社の見学と参拝を終えました(・・・?)。
玄養寺の石標がある場所まで引き返し、集落を抜けながら南北に進む一般道を、再び南へと進み始めます。
集落を抜ける一般道は、カーブに差し掛かり、同時に下り始めました。
やがて丁字路交差点に差し掛かり左折・・・。
右手側に見える小川沿いに一般道を東へ・・・。
緩い坂道を登りながら、緑深い山の方へと進みます。
川沿いに北へ・・・
余白
秋葉神社の見学と参拝を終え(・・・?)、次の目的地へ・・・
大正路地へと向かう橋が見えて来ました
宮前橋が見えて来た
明知駅前から延びる一般道を南北街道方面へ・・・
No.1 八王子神社
川沿いの遊歩道を北へと進みます。
宮前橋が見えて来ました。
宮前橋を渡り、明知鉄道 明智駅前から延びる一般道を東へ・・・、南北街道との交差点を目指します。
明知鉄道 明知駅前から延びる一般道と、南北街道が交わる交差点の東側に、”歴史コース No.1” 八王子神社がありました。
これより、八王子神社の境内に入り、八王子神社の参拝と見学を行う事にします。
八王子神社
石段を登ります
八王子神社 山門
八王子神社 境内を進みます
本殿へ・・・
定
八王子神社 本殿を参拝します
金幣社 八王子神社社殿
狛犬
狛犬
本殿の裏手へと進みます
山神様を祀った小さな祠がありました
本殿の北側へと進みます
沢山の神様が、連なって祀られている祠
柿本人麻呂社
柿本人麻呂社
岐阜県恵那市明智町の中心部から近く、直ぐそこに住宅地が広がっているにも関わらず、鳥居を潜り、石段を登って山門を潜ると、山深い場所に来た様な錯覚に見舞われました。
本殿以外にも沢山の祠が建てられており、地元信仰の対象となっている神社です。
八王子神社の参拝と見学を終えた所で、八王子神社を後にする事にしました。
続いて、”歴史コース No.2” 遠山家累代の墓所を目指す事にします。
参拝と見学を終え、八王子神社を後にする事に・・・
八王子神社
東海自然歩道を東へ・・・
東海自然歩道は、県道33号線に合流しました
案内看板が示す様に、龍護寺方面へ・・・
明知城跡方面へ向かう道路を分岐し、龍護寺方面へ・・・
龍護寺の裏口がありました
裏口より龍護寺に入ります
工事中の龍護寺境内を進みます
自然豊かな遊歩道を進むと、間も無くして・・・
No.2 遠山家累代の墓所
遊歩道を引き返します
八王子神社を出発し、東海自然道を東へ・・・。
木々が生い茂る東海自然道を進んで行くと、東海自然道は岐阜県道33号線に合流します。
岐阜県道33号線を少し東へ進むと、変則的な十字路の交差点に差し掛かり、南へと向かう一般道の入り口に龍護寺と描かれた案内看板が掲げられていました。
この案内看板が示す様に、交差点を右折し一般道を南へ・・・。
龍護寺方面へと進みました。
一般道を進んで行くと、左手方向に龍護寺の墓地が見えて来ました。
ここから更に一般道を南へ少し進んだ所に、龍護寺の裏口があります。
裏口より龍護寺に入りました。
工事中の龍護寺境内を進み、遊歩道の様な自然豊かな道を進むと、”歴史コース No.2” 遠山家累代の墓所に到着です。
あまりにも有名な、遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)を一族にもつ明知遠山家・・・。
その遠山家累代の墓所です。
ゆったりとした時間を感じながら、遠山家累代の墓所のお参りをさせていただきました。
(遠山家は源頼朝の家臣、加藤景廉が美濃国恵那郡遠山荘の地を与えられ、その長男の景朝が遠山荘にちなんで遠山左衛門尉を称したのが祖です。 その後
多くの分家に分かれましたが、その中の明智遠山氏が徳川家康に仕え、旗本 となりました。)
遠山家累代の墓所のお参りを済ませ、進んで来た道を引き返します。
途中、龍護寺本道前から、龍護寺山門へと進み、龍護寺正面入り口へと進みました。
”歴史コース No.3” 龍護寺の正面入り口に到着です。
No.3 龍護寺
龍護寺正面入り口から直ぐ右手側にある光秀公供養塔
明知光秀公御霊廟
明知光秀公御霊廟
明知光秀公出生地
敵は本能寺にあり
龍護寺正面入り口から裏口へ・・・
白鷹城跡
左手方向に分岐する明知城跡方面へと向かう道へ・・・
龍護寺の見学を兼ねての散策し終え、再び龍護寺正面入り口へと戻りました。
龍護寺正面入り口の、龍護寺本堂に向かって右側にある”歴史コース No.4” 光秀公供養塔の見学を開始する事にします。
そして明知光秀公の御霊廟、そして明知光秀公の出生地の見学を終えました。
龍護寺正面入り口から、先ほど龍護寺に入った龍護寺裏口へと向かう一般道を、龍護寺裏口方面へと進みます。
一般道を北へ進み、龍護寺の墓地に差し掛かる手前・・・。
龍護寺の裏口へ向かって進んで来た際に通過した、明知城跡へと向かう道を分岐する交差点にやって来ました。
この交差点を明知城跡(白鷹城跡)方面へ・・・、急な上り坂を登り始めます。
No.4 光秀公供養塔
龍護寺を訪れた日・・・。
龍護寺は改修の為、大掛かりな工事に取り掛かっていました。
この為、”歴史コース No.4” 光秀公供養塔は本堂の西側へ仮保存された状態で、残念ながら実際に見る事は出来ませんでした。
「山門入口右手に、光秀公の供養塔と伝えられる碑が建っているが、光秀公に関する碑はその「悲痛な想い」でことごとく割れるといった通説の通り、斜めに大きくひび割れが入っている。 (龍護寺ホームページより)」
明智光秀桔梗紋の幟
明知城祉 (白鷹城祉)
竹林が迫る道を南へ・・・
獣道の様な山道を進み始めました
人の気配さえない山道を登ります
No.5 明知城跡
明智光秀桔梗紋の幟が見えて来ました。
ここで舗装された道とは別れを告げ、獣道の様な山道を進み始めました。
人の気配さえない山道を只管 登り続けます。
やがて明知城祉と描かれた案内看板が見えて来ました。
これより”歴史コース No.5” 明知城跡に入ります。
大手門東砦
大手門東砦
畝堀 (空堀)
畝堀 (空堀)
三の丸下第二砦
かなり急な坂道を登ります
休憩所
屋根のある休憩所が見えて来ました
完全な獣道状態に・・・
三の丸 (陣屋跡)
石垣跡 (城門の石垣跡)
石垣跡を間近に見ながら更に坂道を登ります
本丸
本丸
明知城祉絵図
明知城祉 (白鷹城) 標高530米
続く進路が解らない・・・
進むべき方角を見定め、再び進み始めました
三叉路を出丸方面へ・・・
石垣跡 (城門の石垣跡)
出丸
獣道の様な山道・・・、それもかなり急な坂道を登って来ました。
山頂に着いたかな?・・・って思った頃、明知城跡の本丸に到着です。
明知城跡 本丸で小休止を・・・。
・・・で、続く進路が解りません!
辺りを見渡し、進むべき方角を見定めてから再び進み始めました。
三叉路交差点まで戻り、急な坂道を下り始めました
猿戻し
猿戻し
桂石
獣道の様な坂道をどんどん下ります
東の丸砦 (陣屋跡)
木々が鬱蒼と生い茂る森の中を進みます
明るい日差しが差し込んで来ました
光秀公学問所跡(天神神社)が見えて来た
No.6 光秀公学問所跡
万ヶ洞天神神社
万ヶ洞天神神社
万ヶ洞天神神社の参道を進みます
道中には、石の神様が祀られていました
光秀学問所入口
田畑の脇を通過します
東海自然歩道を龍護寺方面へ・・・
旧三宅家が見えて来た
明知城(白鷹城)跡
No.7 旧三宅家
明知城 本丸から、出丸の見学を終え、明知城祉を後にする事にしました。
先ほど通り掛った三叉路交差点まで戻り、東の丸砦へと向かう急な坂道を下り始めました。
獣道の様な坂道を下り、”歴史コース No.6” 光秀公学問所跡を目指す事にします。
獣道の様な坂道を下りながら、木々が鬱蒼と生い茂る森の中を進みます。
やがて、明るい日差しが差し込んで来る様になり、前方には木々の間から”歴史コース No.6” 光秀公学問所跡である万ヶ洞天神神社が見えて来ました。
光秀公学問所跡である万ヶ洞天神神社を参拝させていただく事に・・・。
万ヶ洞天神神社の参道を進み、東海自然歩道を龍護寺方面へと進みます。
木々の間から、藁葺き屋根が見えて来ました。
”歴史コース No.7” 旧三宅家に到着です。
旧三宅家
旧三宅家
旧三宅家
”歴史コース No.7” 三宅家に到着し、明智町指定文化財の旧三宅家の見学を開始します。
旧三宅家では、地元ボランティアの方々が囲炉裏に火を焚きながら、地元の語り部となって観光客に色んな話を聞かせてくれていました。
旧三宅家
囲炉裏端
囲炉裏端
囲炉裏端
縁側
囲炉裏端から見る和室
囲炉裏端から見る和室
厩
多くの観光客で賑わう囲炉裏端
旧三宅家を後にします
旧三宅家の見学を終え、旧三宅家を後にしました。
日本大正村 大正ロマン館の横を通過し、”歴史コース No.8” 代官所陣屋跡へと向かいます。
日本大正村 大正ロマン館 正面前を通る一般道を北へ進むと、間も無くして”歴史コース No.8” 代官所陣屋跡が見えて来ました。
”歴史コース No.7” 旧三宅家に記載しております内容は、先に巡りました”大正村コース No.7” 三宅家の記事から引用し、ほぼと同一となっております。
代官所陣屋跡が見えて来た
No.8 代官所陣屋跡
明知陣屋跡 (代官所)
明知陣屋絵図
歌碑
御陣屋方面へ・・・
坂道を登ります
御陣屋
御陣屋
御陣屋
代官所陣屋跡に到着し、代官所陣屋跡の門を潜り、御陣屋方面へ坂道を登ります。
代官所陣屋跡の御陣屋は、現在は個人の住宅となっており、内部を見学する事は出来ません。
現在お住まいの方のご好意により、外観より代官所陣屋跡 御陣屋を見学させていただきました。
代官所陣屋跡を後にします
代官所陣屋跡、代官所陣屋跡 御陣屋の見学を終え、代官所陣屋跡を出発する事にしました。
これより、”歴史コース No.9” 秋葉神社を目指す事にします。
下りながら進む一般道を西へ・・・
続く交差点を左折し、集落を抜ける一般道を南へ進みます
玄養寺
幾重にも連なる鳥居があります
鳥居の奥にある祠を参拝しました