NISSAN 2000GT

NISSAN 2000GT

この車両を見て、あるいは名前を聞いて知っている人は皆無に近いだろう・・・。

謎に満ちたこの車両の開発秘話、そして実際に発売され有名な名車となった話・・・。

そんな闇に消えた「NISSAN 2000GT」を紹介させていただきます。

1955年(昭和30)年1月、静岡県浜名郡浜北町(現在の静岡県浜松市)に日本楽器製造株式会社の浜北工場が設立され、自動二輪車の製造を開始する。

また同年7月1日には日本楽器製造株式会社より自動二輪車部門が独立し、ヤマハ発動機株式会社が発足している。


1958年(昭和33年)には自動二輪車 YDS-1を開発、1959年(昭和34年)には世界GPレースで250ccクラスメーカーチャンピオンを獲得、続く1960年(昭和35年)にも世界GPレースで250ccクラスメーカーチャンピオンを獲得し、2年連続での獲得を果たしている。

1960年(昭和35年)には、この自動二輪車で培った技術力を元に、世界GPレース監督として世界中の技術力を目の当たりにして来た長谷川 武彦をトップとして四輪自動車の技術開発に向けて準備を始める事となる。

なお、長谷川 武彦は1994年(平成6年)にヤマハ発動機株式会社 代表取締役社長に就任している。

1960年(昭和35年)当時、ヤマハ発動機株式会社が四輪自動車の技術開発パートナーとして選んだ自動車メーカーが日産自動車株式会社であった。

NISSAN SILVIA(CSP311型)

R型エンジン搭載のエンジンルーム

日産自動車株式会社とヤマハ発動機株式会社2社による共同開発が動き出すと、まず1962年(昭和37年)に発売されていた「NISSAN FAIRLADY(SP310型)」の更なるスポーツカー的な変化を目指して改良に取り掛かることとなる。

この「NISSAN FAIRLADY(SP310型)」は、日産自動車株式会社で開発された最高出力71PS/5000rpm、最大トルク11.5kg・m/3200rpmを発生する「G型 直4 OHV 1488cc エンジン」を搭載していた。

ヤマハ発動機株式会社は、この「G型 直4 OHV 1488cc エンジン」の総排気量アップを含めた新たな設計のエンジンの開発を日産自動車株式会社から依頼される。

日産自動車株式会社からの依頼を受け、1年も経たない期間でヤマハ発動機は新たなエンジンの開発を終了している。

そのエンジンは、「R型 直4 OHV 1595cc エンジン」で、最高出力 90PS/6000rpm、最大トルク 13.5kg・m/4000rpmを発揮した。

このエンジンの完成を受けて、「NISSAN FAIRLADY(SP310型)」はマイナーチェンジを受け、「NISSAN FAIRLADY(SP311型)」となり、1965年(昭和40年)に発売されている。

また、1964年(昭和39年)に東京モーターショーで発表された「NISSAN FAIRLADY(SP310型)」のシャシを利用しクーペボディーを載せた「DATSUN COUPE 1500」にも、この「R型 直4 OHV 1595cc エンジン」を搭載して初代NISSAN SILVIA(CSP311型)として1965年(昭和40年)に発売している。

NISSAN FAIRLADY(SP311型)

1963年(昭和38年)、ヤマハ発動機株式会社を主軸として、日産自動車株式会社とヤマハ発動機株式会社は共同開発プロジェクトとして日本では初めてとなる本格的なGTスポーツカーの開発を始める事となる。

ただ、日産自動車株式会社の首脳陣は、既に発売している「DATSUN SPORT」、「NISSAN FAIRLADY」共に販売台数が伸びず、スポーツカーの開発は無意味な物と考えてしまっていた。

これとは反対に、ヤマハ発動機株式会社側には、この様な日産自動車株式会社首脳陣の考え等吹き飛ばしてしまう程の大きな技術力と自信が有った。

YAMAHA A550X デッサン

YAMAHA A550X クレーモデル

YAMAHA A550X プロトタイプ

YAMAHA A550X プロトタイプ

この開発プロジェクトは「YAMAHA A550X」と名付けられた。

ボディーをデッサンで描きながらデザインを決めて行き、並行して新型2000ccクラスの直列4気筒DOHCエンジンの開発を進めて行く。

新型エンジンが完成すると、このエンジンを車両に搭載した時のバランスを考慮しながら若干のボディーデザインを変更し、クレーモデル(実物大粘土細工)を製作を開始する。

試行錯誤を重ねながらボディーデザインを決定し、いよいよプロトタイプの製作に取り掛かり、1964年(昭和39年)にはこのプロトタイプを完成させている。

この開発プロジェクト「YAMAHA A550X」は、事実上 ヤマハ発動機株式会社が1社で殆ど全てを完成させている。

発売中のNISSAN FAIRLADY(SP310型)との2ショット

前述してあるが、日産自動車株式会社首脳陣は この開発プロジェクトに始めからあまり乗り気ではなく、1964年(昭和39年)の恒例年始祝賀会において、日産自動車株式会社首脳陣とヤマハ発動機株式会社開発責任者が大論争し、挙句の果てに絶縁宣言を叩きつけてしまった。

これにより、「YAMAHA A550X」プロトタイプは、この1964年(昭和39年)に完成するが、完成を待たずしてプロジェクトは終了してしまう事となる。

この「YAMAHA A550X」は若干の差異を設けて3台造られている。

1台は確実に日産自動車株式会社に引き取られたが、残りの2台については定かでない。

ただ、ヤマハ発動機株式会社側とすれば、苦労して作り上げた自信作がお蔵入りしてしまう事は到底考えられない事だ。

これによりヤマハ発動機株式会社は、四輪自動車の技術開発パートナーとしてトヨタ自動車株式会社と技術提携する事となります。

1964年(昭和39年)の事でした。

ヤマハ発動機株式会社は、「YAMAHA A550X」プロジェクトで開発を進めたモデルを改良し、10ヶ月程度で新しいプロトタイプを発表している。

このプロトタイプは1965年(昭和40年)の第12回 東京モーターショーで「TOYOTA 2000GT」としてデビューする事となる。

その後、トヨタ自動車株式会社には、最高速度230km/hに達する この「TOYOTA 2000GT」を走らせる事が出来るテストコースを持っていなかった事から、テストの場をレース参戦とし改良を重ねて行き、1967年(昭和42年)に実際に市場に送り出している。

「NISSAN 2000GT」・・・、

このクルマは、余りにも不運な運命を辿り、最終的にはトヨタ自動車株式会社の名車とまで呼ばれる「TOYOTA 2000GT」となり決着している。

TOYOTA 2000GT

NISSAN 2000GT TOYOTA 2000GT
プロトタイプ完成年 1964年(昭和39年) 1965年(昭和40年)
全長(mm) 4177 4175
全幅(mm) 1568 1600
全高(mm) 1226 1170
ホイールベース(mm) 2380 2320
トレッド(mm) Fr./Rr. 1340/1340 1300/1300
重量(kg) 1145
エンジン ヤマハ YX80型
直列4気筒DOHC
(約2000cc)
トヨタ/ヤマハ 3M型
直列6気筒DOHC
1988cc
最高出力 120ps/????rpm 150ps/6600rpm
最大トルク ??.?kg・m/????rpm 18.0kg・m/5000rpm
燃料供給装置 Solex 2基 Solex 3基
パワートレーン FR FR
ブレーキ Fr.:ディスクブレーキ
Rr.:インボード式ディスクブレーキ
Fr.:ディスクブレーキ
Rr.;インボード式ディスクブレーキ
サスペンション Fr.:ダブルウィッシュボーン
Rr.:ダブルウィッシュボーン
Fr.:ダブルウィッシュボーン
Rr.:ダブルウィッシュボーン
タイヤサイズ 165-70R15 165-70R15
シャシフレーム バックボーン型 バックボーン型

比較表

日産自動車株式会社側としては、ヤマハ発動機株式会社から引き取った「YAMAHA A550X」プロトタイプのデザインを若干参考にし、新たなモデルの製作に取り掛かっている。

このモデルは、他車種の部品を流用する等しながら研究・開発、製造でのコストを大幅に抑え、日産自動車株式会社首脳陣が予想し得なかった程の爆発的な人気と販売台数を誇った。

このモデルとは、1969年(昭和44年)発表の初代NISSAN FAIRLADY Z(S30型)である。

NISSAN FAIRLADY Z(S30型)

NISSAN 2000GT 資料

YAMAHA YX80 type Engine & Transmission

YAMAHA YX80 type Engine & Transmission

余白

YAMAHA A550X