1952年・・・。
この年、国産自動車メーカーとして初めて、日産自動車がスポーツカーを製造・発売した記念すべき年となりました。
オープンボディー、4シーター・・・。
DATSUN SPORTS DC-3型が誕生したのです。
日産自動車は、第二次大戦敗戦後 暫くは自動車製造を停止する様にGHQ(連合国軍総司令本部)から通達を受けていました。
しかし、第二次世界大戦が終了した同年 1945年(昭和20年)中にはGHQからトラックの製造を許可され、翌々年の1947年(昭和22年)には乗用車の製造も許可されています。
更に1949年(昭和24年)には乗用車の生産制限を解れ、自動車を開発する技術者達の間からは自由な発想が芽生え始めました。
こんな時、国産スポーツカーを作って見たい・・・。
そんな構想が生まれたのかも知れません。
国産自動車メーカーが始めて作り上げたスポーツカー・・・。
現在のスポーツカーの水準から考えると、このDATSUN SPORTS DC-3は馬力、走行性能等も比較にはなりません。
ベースとなったのはトラック用のシャシーフレーム。
そこに860cc 20psのエンジンを搭載し、スポーツカーのボディーを載せたと言う物。
トラックとは兄弟関係にあるスポーツカー・・・、そんな感じでしょうか・・・?
生産台数50台・・・。
販売台数が少なく生産を終了してしまいましたが、国産自動車メーカーがスポーツカーを製造する・・・。
その礎を築いたクルマでした。
当時のカタログ、パンフレット
DATSUN SPORTS DC-3型
DATSUN SPORTS (DC-3型)
DATSUN SPORTS DC-3型 | |
---|---|
全長(mm) | 3510 |
全幅(mm) | 1360 |
全高(mm) | 1450 |
ホイールベース(mm) | 2150 |
トレッド(mm) | Fr. 1048 Rr. 1180 |
車両重量(kg) | 750 |
定員 | 4名 |
装備重量(kg) | 970 |
エンジン | 水冷サイドバルブ直列4気筒 |
排気量(cc) | 860 |
内径(mm)X行程(mm) | 60X76 |
最高出力(ps/rpm) | 20/3600 |
最大トルク(kg・m/rpm) | 4.9/2000 |
潤滑装置 | 圧力給油及び飛沫式 |
オイル容量(l) | 1.9 |
冷却装置 | 水圧循環式 マツコードラジエーター 渦巻式水ポンプ及びサーモスタット |
冷却水容量(l) | 6.0 |
燃料装置 | AMC(自動燃料節約装置)付ソレックス気化器 エアクリーナー ガソリンストレーナー ダイヤフラム式燃料ポンプ 燃料漕 21リットル(5.5ガロン) |
変速装置 | 前進3段 後退1段 |
クラッチ型式 | 乾式単板 外形Φ171mm |
推進軸 | 継ぎ目無し引き抜き鋼管 Φ57mm クリーブランド型ユニバーサルジョイント2組付 |
ブレーキ型式 | Φ254mmドラムブレーキ |
ステアリング型式 | ヒンドレーウォーム&セクター式歯車比 18:1 |
後車軸 | 半浮動ウォーム&セクター式減速比 6.5:1 |
前車軸 | I字型断面 逆エリオット型 |
電気装置 | 高圧蓄電池式 6VX80AH スターターモーター 0.7ps ジェネレーター 140W ディストリビューター(自動進角装置付) 点火栓 14mm |
懸架装置 | Fr. 横置き9枚 ショックアブソーバー付 Rr. 並行式8枚 ショックアブソーバー付 |
タイヤ | 5.50-15 4プライバルーンタイヤ |
計器類 | 速度計兼距離計 燃料系 油圧系 電流系 点灯用釦 チョーク釦 スロットル釦 スターター釦 小物戸棚 握り棒 |
照明装置 | 前照灯 2個 尾灯兼制動灯 1個 計器灯 2個 |
付属品 | 方向指示器 後面鏡 電気ワイパー ツール 1組 予備ホイール 1個 |
当時のカタログによると、DATSUN SPORTS DC-3型は、「明るいフロントグラス、操作しやすいステアリングホイール、クッションの良いシート、ダッシュボードは深く充分に足を延ばしてペダル操作ができるため、如何なるロングドライブにもいささかも疲れを覚えない」とあります。
インストルメントパネルには、スピードメーター、燃料計、電流計、油圧計等が整然と並べられ、ワイヤースポークのステアリングを含めて魅力的に作られています。
フロントウインドーは、フレームごと前に倒す事が出来、当時のカタログによると「春夏秋冬をつうじて爽やかな風を楽しみ、スピード感を充分楽しめる」とあります。
このウインドーが倒れる言う事は、「レースの際にスポーツカーにはなくてはならぬことです」とも当時のカタログには記載されています。
最高速70km/hのDATSUN SPORTS DC-3型が、どれだけ自由な自動車を提供しようとしていたかと言う広野に思いを馳せれば、スポーツカーとしての素質が充分備わっていた事が想像出来る事でしょう。
国産自動車メーカー初のスポーツカーをデザインしたのは、自動車デザイナー太田祐一でした。
ボディーばかりか、シャーシ、エンジンの設計はもちろん、自らステアリングを握りレースに参加するという、トータルエンジニアとしての実力をもつ設計者は当時、唯一の存在だったと言います。
太田自動車を設立した父、太田祐雄の長男として1913年(大正2年)に生まれた祐一は、18歳の時から父の設計助手を勤め始めます。
そして、戦後の混乱期をジープをワゴンに改造するボディーショップを営み、1947年(昭和22年)には品川にボディー工場ワイドフィールドモータースを設立、ダットサンのステーションワゴンの設計を手掛けています。
そんな太田祐一にとって、1951年(昭和26年)に日産自動車の依頼を受けてDATSUN SPORTS DC-3型のボディーを作ることはやりがいのある仕事だったに違いないかもしれない。
DATSUN SPORTS DC-3型 諸元表
DATSUN SPORTS DC-3型
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