NISSAN FAIRLADY Zの外観上での最も大きな識別点は、1976年(昭和51年)モデルから採用されたタルボ型ミラーとなる。
メッキを施されたミラーボディーに、大型化された鏡面をもつこのミラーは、リモコンミラー用のモーター類の内蔵も可能としているのが特徴となっている。
これと同時に、従来の砲弾型ミラーはNISSAN FAIRLADY Zのフェンダー上から姿を消している。
またZ-T、Z-L はファイナルレシオの変更を受けている。
NISSAN FAIRLADY Zのトップモデルとして登場したZ-Tには、Z-Lを更に上回る各種の装備が与えられていた。
5.5J14のアルミロードホイール、195/70HR14ラジアルタイヤ、FM/AMマルチラジオ付きカセットステレオ、パワーウインドウ、リモコンミラー、マップランプに加えたスポットランプ・・・。
また、2by2と2シーターの住み分けもなされている。
2by2Z-T、2by2Z-Lに採用された起毛トリコットのシート表皮は上質な感じを与え、2シーターにはZ-T、Z-L、Zともに共通のニットレザーを用いて、よりサポート重視のディテールをシートバックに見せていた事も、キャラクターに変化を付けられていた事も見逃すことが出来ない事実となる。
NISSAN FAIRLADY Zと言う存在が持つ走りへのイメージ・・・。
それに加えて、既にデビュー7年目を迎え、支持層の年齢的な成長とともに多様化する要求をパッケージ搭載するために様々なアプローチがされていた訳である。
例えば深いナセルに沈んだ速度、そして回転計、そして3連メーター・・・。
その一番左に位置する時計にもNISSAN FAIRLADY Zらしさを感じる事が出来る。
水晶発振のムーブメントが与えられたアナログクロック・・・。
それは自動車用としては珍しく秒針をもつ3針式を採る。
更にカレンダーまで備えると言う拘りようとなっている。
その盤面は、まるで当時のラリーやサーキットで活躍したストップウオッチを思わせる。
それは時間を告げるだけの単調な機能に没することなく、Zとの生活を楽しむドライバーの為に欠く事の出来ない「空気」を創り出していた。
NISSAN FAIRLADY Z S30型 |
NISSAN FAIRLADY Z Z432型 |
NISSAN FAIRLADY Z 240Z型 |
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全長(mm) | 4115(4135) | 4115 | 4115 |
全幅(mm) | 1620 | 1630 | 1630 |
全高(mm) | 1285 | 1290 | 1290 |
ホイールベース(mm) | 2305 | 2305 | 2305 |
トレッド(mm) | Fr. 1355 Rr. 1345 |
Fr. 1355 Rr. 1345 |
Fr. 1355 Rr. 1345 |
最低地上高(mm) | 160 | 165 | 160 |
車両重量(kg) | 975 | 1040 | 240Z 985(1010) 240ZL 1005(1030) |
定員 | 2名 | 2名 | 2名 |
車両総重量(kg) | 1085 | 1150 | 240Z 1095(1300) 240ZL 1115(1400) |
最高速度(km/h) | 185 | 210 | 205(200) |
SSI/4マイル加速(秒) | 16.5 | 15.8 | 15.9(17.0) |
最小回転半径(m) | 4.8 | 4.8 | 4.8 |
エンジン型式・種類 | L20型 水冷直列6気筒 O.H.C.2バルブ |
S20型 水冷直列6気筒 D.O.H.C.4バルブ |
L24型 水冷直列6気筒 O.H.C.2バルブ |
排気量(cc) | 1998 | 1989 | 2393 |
内径X行程(mm) | 78.0X69.7 | 82.0X62.8 | 83.0×73.7 |
圧縮比 | 9.5 | 9.0 | 8.8 |
最高出力(ps/rpm) | 130/6000 | 160/7000 | 150/5600 |
最大トルク(kg・m/rpm) | 17.5/4400 | 18.0/5800 | 21.0/4800 |
変速装置 | 前進4速 後退1速 |
前進5速 後退1速 |
前進5速(3速) 後退1速(1速) |
変速比 | 第1速 3.549 第2速 2.197 第3速 1.420 第4速 1.000 後退 3.164 |
第1速 2.957 第2速 1.858 第3速 1.311 第4速 1.000 第5速 0.852 後退 2.922 |
第1速 2.905(2.458) 第2速 1.902(1.458) 第3速 1.308(1.000) 第4速 1.000 第5速 0.864 後退 3.382(2.182) |
終減速比 | 3.700 | 4.444(L.S.D.) | 3.900(3.545) |
クラッチ型式 | 乾式単板 | 乾式単板 | 乾式単板 |
フロントブレーキ型式 | 油圧ディスク |
油圧ディスク |
油圧ディスク |
リヤブレーキ型式 | 油圧ドラム、 リーディング・ トレーリング |
油圧ドラム、 リーディング・ トレーリング |
油圧ドラム、 リーディング・ トレーリング |
ステアリング歯車比 | 16.4 | 16.4 | 16.4 |
フロント・サスペンション | 独立懸架ストラット | 独立懸架ストラット | 独立懸架ストラット |
リヤ・サスペンション | 独立懸架ストラット | 独立懸架ストラット | 独立懸架ストラット |
タイヤ | 6.45H-14 4プライ | 6.95H-14 4プライ + マグネシウムホイール |
6.45H-14 4プライ |
ガソリンタンク容量(l) | 60 | 60 | 60 |
特に、240ZGが採用した空力ノーズ(グランド(G)・ノーズ)とH規格のラジアルタイヤを履き、オーバーフェンダーでボディーサイドを引き締めた、当時のスーパースポーツモデルの象徴的なアイテムを盛り込むなど、三度マニアに深い溜息を付かせる事になったのである。
NISSAN FAIRLADY 240Zは、既に1970年11月には全米選手権レースでクラス優勝を納めたのを始め、1971年1月のモンテカルロラリーで総合5位、10位を獲得。
同年4月に行われたイーストアフリカンサファリラリーでは見事総合優勝を遂げるなど、苛酷な場面での強さ、速さを証明してみせた。
また、鈴鹿サーキットで開催された500kmレースでも総合優勝するなど、スポーツカーとしての資質が大排気量エンジンと見事にマッチングした事を証明したのである。
1973年(昭和48年)9月、NISSAN FAIRLADY Zは最初のマイナーチェンジを受けた。
ちょうど、この年、世界を巡った石油危機のニュースは国内の消費者にも様々な影響を与えた。
高騰したガソリン価格、休日営業を停止する規制をうけたガソリンスタンド。
また、年々増加した光化学スモッグの原因要因の一つだった排出ガスの浄化を規則化するなど、環境への配慮が求められる事に・・・。
しかし、当時は年々厳しくなる排出ガス規制に、スポーツカーマニアは、先々の不安を煽られる様な思いでその動きを凝視していた。
まだ当時は、排出ガス中のCO、HC、NOXの低減は、性能とは反比例する関係にあったからである。
この年、1973年(昭和48年)にNISSAN FAIRLADY Zが受けたマイナーチェンジで最も特徴的だったのがリアエンドの意匠変更だった。
デビュー以来、一体式だったリアコンビネーションランプかバックアップランプを独立させた意匠を採用。
また、昭和48年排気ガス規制をクリアするための排出ガス防止対策も施されている。
エンジンに混合気を送り込むキャブレターは、スロットルバルブが上下することで空気流量を変化させる、可変ベンチュリーのSU(Skin-Union)タイプを継続して使用。
スロットルボディーを二連装するツインキャブとしていた。
また、ギアボックスのギアレシオの見直しや、ステアリングギアボックスの減速比にも変更を受けている。
ラック&ピニオンのダイレクトなステアリングフィールをキープしたまま減速比をやや低め、ドライバーの労力を低減する改良が施された。
1971年10月・・・。
NISSAN FAIRLADY Zに新たな1ページが開かれる事になる。
これまで、S20型エンジンを搭載したZ432を頂点にしてきた物から、L24(2400cc)型エンジンを搭載したモデルにその役目を引き継ぐ事になったのである。
これは既に始まっていたNISSAN FAIRLADY Zの輸出仕様車のエンジンを搭載したモデルの投入でもあり、NISSAN FAIRLADY
Z432が持っていたシャープなレーシングシーンの雰囲気とは別の角度から、NISSAN FAIRLADY Zのスポーツ度を高める物となったのである。
ボア 83.0mm×ストローク 73.7mmのL24型エンジンは、150PS/5,600rpmと、最高出力的にはS20型エンジンよりも10PS下回るが、最大トルクは21.0kg・m/4,800rpmと発生回転は低く、しかも最大トルクは大きくなったエンジンのおかげで、スペック的には240Z、240ZLで最高速が205km/h
(200km/h) 0-400m加速が15.9秒 (17.0秒)、空気抵抗を軽減する通称G・ノーズを採用した240ZGでは、最高速度は210km/h
(200km/h) 15.8秒 (16.9秒) [ () 内はAT車 ]と、充分なカタログデータを手にしながら、通常のドライバビリティーも大いに向上させている。
何より、まだほとんどの車種が2000ccを上限としたラインナップだった中で、このNISSAN FAIRLADY Zの進化が周囲に与えたインパクトは大きかったのは言うまでもない。
1969年(昭和44年)10月・・・。
それまでのオープンボディーを持つDATSUN FAIRLADYシリーズとは一線を隔するモデルとして、クローズドボディ、ファストバックスタイルで初代NISSAN FAIRLADY
Z S30型がデビューした。
エンジンのラインナップは、NISSAN FAIRLADY Z、NISSAN FAIRLADY Z-Lに水冷式直列6気筒O.H.C.2バルブ+SUツインキャブを装備して130PSを生み出すL20型を搭載。
トップモデルたるNISSAN FAIRLADY Z432には、当時 7つの世界スピード記録を持っていたPRINCE R380が搭載したエンジンとして、そしてNISSAN SKYLINE PGC10型GT-R、KPGC10型GT-R、KPGC110型GT-Rのエンジンユニットとしても馴染みのS20型を搭載したのである。
水冷式直列6気筒D.O.H.C.4バルブ S20型エンジンには、ソレックスタイプのキャブレターを3連装着し、点火系にはフルトランジスタ式も採用している。
Z432のネーミングの由来になった4バルブ、3キャブレター、2本のカムシャフトを持つS20型エンジンは、最高出力160PS、最大トルク18.0kg・mでこのスタイリッシュなスポーツクーペを210km/hまで到達させた。
シングルカムのL20型エンジンより機関単体重量では上回るものの、エンジンの3サイズ的には、L20の全長×全幅×全高が849mm×638mm×654mmなのに対し、S20は833mm×645mm×633mmと、幅の広いツインカムヘッドの幅で、L20より7mm広い以外、サイズを詰めた設計となっているのが良く解る。
それだけに価格の方も、4速マニュアルトランスミッションのNISSAN FAIRLADY Zが930000円、5速マニュアルトランスミッションのNISSAN FAIRLADY
Z-Lが1080000円だったのに対し、NISSAN FAIRLADY Z432は1800000円と相当にエキサイティングなものだった。
51年排出ガス規制を受けたエンジンは、一時的に「らしさ」を前面に打ち出す事を止めるが、こうした部分にはNISSAN FAIRLADY Zイズムが貫かれ、7年と言うモデルライフ、と言う言葉すら感じさせない熟成ぶりを見せるのである。
こうして振り返ると、このマイナーチェンジの方向性が時期NISSAN FAIRLADY Z、あるいは以後 現代に至る迄のNISSAN FAIRLADY
Zへと続くひとつのターニングポイントだったように感じるさせてやまない。
1976年(昭和51年)1月・・・。
NISSAN FAIRLADY Zは、51年排出ガス規制をクリアしたモデルを投入し、従来のS30型からS31型へとマイナーチェンジする。
段階的に厳しくなる排出ガス規制に対応をすると同時に、装備を充実させたZ-Tをラインナップに加えている。
L20E型エンジン NAPS仕様
これによって4人での移動が可能になり、生粋のスポーツマインドを愛しながらも、機能としてリアシートを欲していた多くのユーザーに歓迎されたに違いない。
また、2シーターという呼び方も、この2by2の登場と共にNISSAN FAIRLADY Zを見分ける言葉として定着しました。
リアシートを追加するためにロングホイールベース化が図られています。
既に2シーターとして煮詰められたシャーシに後席を追加する余裕は無く、ホイールベースは2シーターに比べ300mm延長された2605mmとなっています。
また、ボディーシェルもルーフラインを延長したものとなり、ヘッドクリアランスを保つために、リアクオーターパネルの造形にも2シーターとの相違がみられるのが特徴となっています。
これによる重量の増加を受けて、ステアリングギアボックスのギア比も18.0に設定されている。
またこの年には、フロントシートに3点式、リヤシートに2点式シートベルト装備の義務化が図られています。
2by2
NISSAN FAIRLADY 240Z
松尾 良彦 氏がデザインした"Z"
片山 豊 氏の愛車 DATSUN 240Z
Z旗
プロトタイプデザインが出来上がりつつあるものの、技術担当の植村 齊 氏よりクレームが・・・。
エンジンがボンネットに納まらない・・・。
この様な困難を幾つも乗り越え、NISSAN FAIRLADY Z プロトタイプが完成しました。
もう一つ忘れてはならない事柄があります。
1955年(昭和35年)、日産自動車はアメリカ合衆国の市場に向けて始まったばかりの輸出基板を設ける為に、ある人物を初代アメリカ日産社長として送ります。
試作車倉庫での1コマ(右から二番目は松尾 良彦 氏)
試行錯誤の末 完成したプロトタイプ
数台製作されたプロトタイプの中の1台
NISSAN FAIRLADY Zのインストルメントパネルは、
機能と精悍さな中に豪華さをも持っていた。
正面にはメーター類のみでスイッチ類は一切ない。
スイッチ類はドライバーの腕のリーチを計算しつくし
た安全な位置に、使用頻度別に使いやすく配置さ
れた。
センターコンソールには、ベンレーター、マップランプ、
ラジオ等が収まり、フロアコンソールにはリアの電熱
式デフロスターのスイッチ、ハザードランプ、チョーク、
小銭入れ等が配置されていた。
全てが人間工学に基づいて、デザインされていたの
である。
NISSAN FAIRLADY Z432には、432Rというレース仕様も用意されていた。
NISSAN FAIRLADY Z S30型北米仕様(240Z)
NISSAN FAIRLADY Z S31型
FAIRLADY Zの生み親 片山 豊 氏
NISSAN 2000GT(YAMAHA A550X)
アルミナにプラチナをコーティングした触媒コンバーターに排気ガスを通過させることで、CO、HCをさらに低減させる手法も取り入れられた。
その他、燃焼室から排出されるガスばかりではなく、燃料の蒸発ガス中に含まれるHCを抑えるためのキャニスターや、燃料タンクからの蒸発を防ぐための仕組みを取り入れた専用のタンクを採用するなど、細かい配慮が見られるのが特徴となっている。
この他に、無鉛ガソリンの販売が始まった事も、規制当時を思い出す出来事の一つになっている。
気になるL20E型エンジンは、最大トルクの17.0kg・mの数値は従来からのL20型エンジンと同じながら、最高出力は130PSとなり、従来のL20型エンジンに比べ5PS上乗るデータを持つ事になった。
当時のカタログには、5速マニュアル車が190km/h、4速ミッションモデルが180km/h、オートマチックが170km/hと最高速が記載されていた。
当時の雑誌に掲載されたインプレッションを振り返ると、排出ガス規制によるレスポンスの鈍化、キャブレターならではの吸気音の減少など、スポーツカーとしての「キーワード」が減少したことを嘆いたものも少なくなかった。
ファンもそれを嘆いた事は言う迄もない。
そしてわずか数年の間に存在する規制済みエンジン搭載車と排出ガス規制以前の車両・・・。
中古車マーケットでも特にスポーツカーの売り文句は、「未対策」という文字やSUツイン、ソレックスなどキャブレターであることが絶対条件のように語られていたのも懐かしい事実である。
1975年9月・・・。
昭和50年排出ガス規制適合の為に、NISSAN FAIRLADY ZにもNAPSを組み込んだL20E型エンジンが搭載された。
これによる混合気の最適化を図り、排出ガス中のCO、HCの低減を行う。
そして、この装置の搭載により、エンジンプレーキ中の燃料供給をカットして排気ガス中の有害成分をさらに低減させる機能も持っていた。
同時に触媒コンバーターも採用されている。
1974年1月・・・。
NISSAN FAIRLADY Zに4人乗りの2by2が誕生する。
1964年8月にDATSUN FAIRLADY SP310型が、それまでの3人乗りから2人乗りのツーシーターに変更されて以来、リアシートをもつFAIRLADYとしてはおよそ10年ぶりに登場と言う事になります。
デザイン面、技術面での葛藤は続いたが、素晴らしい自動車としてNISSAN FAIRLADY Z S30型は完成しました。
この様な苦悩の日々を振り返りながら、デザイン担当 松尾 良彦 氏が"Z"の文字をデザインし、NISSAN FAIRLADY
Zのネームエンブレムに組み込まれる事になりました。
紆余曲折に苦悩した日々・・・。
"Z"の文字も、紆余曲折しているのでしょうか・・・。
NISSAN FAIRLADY Z S30型(Z432)
余白
NISSAN FAIRLADY Z Z-T
NISSAN FAIRLADY Z S30型 コクピット
NISSAN FAIRLADY Z (S30型、S31型)
当時のカタログより
ある人物とは、NISSAN FAIRLADY Zの生みの親として称えられる片山 豊 氏です。
片山 豊 氏はアメリカ合衆国にアメリカ日産を立ち上げ、日産自動車の売り込みに奔走するが、「日本車はハイウェイを走るとすぐ故障する」「デザインも陳腐」と言われ、港では在庫の山にがほこりが被っていた。
こんな時、小さなサーキットを訪ねた片山 豊 氏は、古い自動車を改造してサーキットを走り回る若者達を目撃する。
PORSCHEやJAGUARなど人気のスポーツカーは、庶民には高嶺の花。
「手頃な値段で高性能なスポーツカーを作れば、きっと売れる。」
そう感じた片山 豊 氏は、新しい日産自動車のスポーツカー作りに苦悩の日々を送っていた松尾 良彦 氏にZ旗を送り激励します。
Z旗とは、1905年(明治38年)日露戦争の際、旗鑑三笠に「皇国の興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」の信号旗として掲げられ、日本軍はこの東郷司令長官の号令により奮戦して、帝政ロシアのバルチック艦隊を撃破した。 その後、この故事にちなんで命運を分ける決戦の時に、「Z旗を掲げる」という慣用句が出来ています。
NISSAN FAIRLADY Z S30型には、デザイナ担当の松尾 良彦 氏、技術担当の植村 齊 氏、その他 各部担当者は多く存在するが、NISSAN FAIRLADY
Zの開発担当ではない片山 豊 氏がNISSAN FAIRLADY Zの生みの親と称えられる訳がそこにあるのかも知れない・・・。
クレーモデル製作風景(一番左手は松尾 良彦 氏)
あまり知られていないNISSAN FAIRLADY Z S30型の誕生秘話として・・・。
日産自動車は、当時 技術提携を行っていたヤマハ発動機から持ちかけられる形で1964年(昭和39年)にNISSAN 2000GT(YAMAHA A550X)のプロトタイプを完成させている。
しかし、日産自動車の首脳陣と、ヤマハ発動機の技術陣の折り合いは相当に悪く、開発プロジェクトはプロトタイプの完成のみで終了してしまう事になります。
このNISSAN 2000GTは、関係者以外には一切公表されず、日の目を見る事無くお蔵入りとなってしまいました。
しかし、その後 NISSAN FAIRLADY Zのチーフデザイナー 松尾 良彦 氏に大いに影響を与える事となりました。
フロントノーズは日本刀の潔さを感じさせる独特のデザインとするものの、リヤエンドはNISSAN 2000GTが少なからず影響をしている様なデザインとなっています。
DATSUN FAIRLADY SR311型まで続いたフレームシャシー構造から、新たにモノコックシャシー構造へと進化したNISSAN FAIRLADY
Z S30型のボディーに組み合わされたサスペンションは、4輪ともストラットを採用した独立懸架としている。
また、フロントにディスクブレーキ、リアはドラムながら放熱性に優れたフィン付きドラムを採用することで、連続する使用に耐える性能を持っていた。