PRINCE SKYLINE

データ見てもどれよりもダックスフントが速いんですから。

しかし、なかなかレースが始まらない。

予定の時間を過ぎている。そうしたら、クルマを徹夜で直して、いま名四国道をこっちに向かって運んでいると言う訳ですよ。

田舎のレースなんだなぁ、俺たち日本のチームが遅れたらペナルティ取られて文句いわれるのになぁ。

ポルシェ様だと待っているのか。

そしたら「桜井さん、そう言う訳じゃないけれど、ツーリング部門でSKYLINEとGLORIAが全部取っちゃって、プリンスはもう良いじゃないの。

ここにいるお客さんは皆、ポルシェ、というクルマが走るのを見たがっているのですよ。

だから待ってやってくださいよ」と言われましてね。

そうしたら来ましたよ。

ガムテープをベタベタ貼って、へェーと言う様な格好で直して来ましたよ。

オフィシャル・プラクティスの時にタイムは計測されていましたので、最前列のイン側(3番目のポジション)にいました。

スタートしたら、第1コーナーで後続を10m以上リード。

その速さたるや、ものすごい勢いで走る。ところが何かあったと思うのですが、7周目のヘアピン手前で生沢徹が抜いたんですよね。

式場君は、やはり慣れていないからコーナリングでムリが出来なかったのかも知れません。

生沢が良い調子で抜いて、1周くらいトップを走ってましたかね、また抜かれるのですけど。

結局ポルシェが勝ったのですが、あの当時は今と違って、日本人みんなが戦争に負けた後で団結して行こう、と言う意識が非常に強かった。

だから日本のクルマと外国のクルマ、と言う気持ちで見ている。

プリンスとポルシェじゃないのです。

日本のクルマと欧米のクルマ。

汚ねー事を式場はしやがった、と言う事は皆わかってましたから、観客席のグランドスタンドの方から、SKYLINEが負けて来たのにものすごい拍手が沸きましたね。

大きな声で「SKYLINEよくやった」という声が聞こえましたよ。

2位で残念でしたが・・・。

完全には100台無かったと思うのですが、100台の生産証明を工場も役員もみんな出した訳です。

ところが、レース終わった途端に全部売れちゃったのですよ。

桜井が商品になると言ったのは嘘じゃなかったと。

それですぐレースに出られる様なクルマを作ろうじゃないかと言う事で、ウエーバーのキャブレターを付けたのですが、ウエーバーから文句が来まして、あれ確か40ミリの口径(40DCOE)だと思いました。

とにかくウエーバーのキャブがメーカーになくなっちゃったのです。

でも、お客さんは買いたいですよね。

その時に初めてストリートバージョンをやろうと。

GLORIAの普通のエンジンを載せたSKYLINE GTと、そのままレースに出られるSKYLINE GT(B)と2本立てで売ったのですよ。

これが大変な評価を得まして、最初2代目のSKYLINEはファミリーカーで、人手の掛からないメンテナンスフリーの様な事を中心に持って来て、走りの心地よさはツーリングカーとしてやっていたのですが・・・。

SKYLINEに走りが加わった。

そこで2代目からSKYLINEはファミリーカーでありながら「走りグルマ」というのがSKYLINEのテーマになった訳です。(桜井 眞一郎 氏の言葉より・・・)』


第2回日本グランプリ・・・。

『そうでしたかねぇ。 オバケが走ってるって。

オフィシャル・プラクティスの時に、レースの1日前です。

とんでもないクルマが・・・、クルマだかなんだかわからないのがいるのです。

上から見ると、銀色で地べたにへばりついたようなモノがあるんですよ。

あれ何だ、って言ったら「あれがポルシェのカレラ904GTSというクルマです」。

当時はエイに見えましたね。 ベタッとへばりついて。

ウチのクルマはフロントピラーの所から切って、ホイールからみんな前へ持っていっちゃってるからすごく胴長なんですよね。

ダックスフントみたいなのです。

ダックスフントとエイなんか競争出来る訳がない。

グループ6は両方共そのカテゴリーですと言うので、「一緒に走るのか」と言ったら「そうです」。

これは勝てっこねぇやと……。

走るのを見たら、ベタッとへばりついてスケートみたいな感じに見えましたね。

ダックスフントは短い足でヒイヒイ言いながら駆けてる訳です。

そうしたら、たまたま式場(壮吉)君が第1コーナーに突っ込みましてね。

草を束ねたようなブロックにぶっついた。

私達は、自動車って言うのはぶつかったらグチャグチャになるものだと思っていたら、あのクルマは破けたのですよ。

ありゃなんだと言ったら、いや、FRPという材料で作ったクルマで、アルミの板とか鉄板じゃねぇと。

クシャクシャに曲がって潰れるのじゃなく、ああやって破けちゃうのだ。

まぁでも破けちゃったから明日はいただきだと。

その夜なんか、みんな手を握り合って喜びましたよ。

キタねーじゃないか、飛行機であんなモノ運んできやがって。

確か1600ccのツーリングでは1位から8位くらいまでとったのじゃないかと思います。

2リッターではGLORIAがアタマをとって、2位はCROWNにとられたのですが、3位がまたGLORIA。

まぁプリンスの圧勝ですよね。

で、エイはいねぇ・・・、
、何といわれたってダックスフントが勝つんだと。

『ちょうど1963年(昭和38年)に第1回日本グランプリがありました。

各自動車メーカーはこのグランプリに出るクルマに対して特別手を入れないようにという申し合わせがあり・・・。

中川良一さんなんかは真面目な方ですから全然手を出さなかった。

ところが惨憺たる負け方をした訳です。

石橋(ブリヂストン)さんが、当時のプリンスの株をほとんど持っていらしたので、呼びつけられて減俸とエライ訓告をもらった。

帰って来て直ぐ私に連絡があり、叱られた、いい加減にしろ。 来年はとにかく勝て、と言われ、それには期待出来るのは君だけだから、とにかく勝てるクルマを作ってくれ。

エンジンは別に俺の方からエンジングループに、中島(飛行機)の連中ですけど、オーダーしようと。

君はクルマをやってくれと…。

1963年(昭和38年)だったかな、第2回の日本グランプリにむけて開発を始めたんです。

レーシングカーと言うのはご存知の通り、当時のレースは鈴鹿サーキットですから、鈴鹿を何日間か借り切って走るのです。

安くなかったように思いましたけど、各自動車会社みんなやりだしました。

各メーカーが、他の自動車メーカーが訓練しているのをストップウォッチを持って・・・、誰が乗った何号車が何秒出したとか・・・、他社のデータを取っている訳です。

プリンスも同じ事をやりましたね。

その内に段々うちが速くなって来て、足を直したりエンジンをいじったりしている間に、スカイラインはツーリングカーの1600ccクラスだったのですが、実際にはスカイラインは1500ccで、スカイラインよりいいタイムで走っているクルマは全然いなくなってしまいました。

飛行機屋が作ったエンジンですからさすがに性能は良かった。

向かうところ敵無し、と言った感じで・・・、ついでにグロリアも、と言う事で直6のエンジンもチューニングしました。

足を直したり色んな事をやって・・・、結果としてグロリアも2リッタークラスですから、これに敵うクルマはどこからも出てこなくなっちゃった。

CEDRICとかCROWNなんかが(サーキットを)走っていましたが、全然追い付かないのです。

とうとうツーリング部門は全部いただきと言う事で、乾杯をしちゃいました。

もう勝ったつもりで・・・、良い気持ちになって、「あと何をやったらいいんだ?」なんて言いながら走っていましたね。

ところが、外車ばかりで走るGTクラスがありまして、ツーリングカー部門のクルマが出来ちゃったものですから、そっちも魅力的になっちゃって、アレも勝ったらトリプルクラウンだ・・・、なんて。

鈴鹿へ皆を置いて、今は新幹線があるからさーっと帰って来られるのですが、東海道をトントンと東京まで帰りました。

急いで帰ると、必ず岡崎、あの辺の道の上にオ−バーブリッジがありまして、おまわりさんがいるんですよ。

バーっと出て来ると、それを振り切って逃げるというのがですね、ホントにスタントカーみたいでしたよ。

一回も捉まらなかったですけどね。

帰って役員会にツーリングはいただきだから安心してくれ。 その上のGTクラスもとりたいと。

フランスのFIAにグループ6の認可を取るには、100台生産してなきゃいけなかった。

その生産実績があれば良いのです。

だから100台作ってくれと。

どうするのだと聞かれましたから「スカイラインの鼻を切っちゃって、エンジンの長さが20センチ長いからとにかく鼻を200ミリ伸ばして、そこに6気筒を積んでいけばパワー/ウエイト・レシオ(125ps/1025kg)8.2kg/psですね、そんなクルマはないから絶対勝てる」と主張しました。

そうしたら「お前バカなことを言うな…、あんなモノに6気筒載せたらクルマは走るどころかくるくる回っちゃうよ」冗談いうなといわれました。

なかなか理解されませんでしたけど、中川さんのほうから「桜井くんには随分苦労させてしまっているから、ボーナスで作ってやろうじゃないか」という話をいただきました。

「これは良い商品になりますよ」と言ったら「ナマイキな事を言うな、商品のことが貴様にわかるか!」と怒られました。

それで作ったのですが……うまく行きませんでした。

S50型の2代目SKYLINEは十分計算していましたけれど、2000GTは5月の3日までに認可をもらわなければいけない訳ですから、急遽1年足らずで作らなければ間に合いません。

ボディはフロントピラーの前でサイドメンバーを全部切っちゃいました。

200mm継ぎ足して伸ばしたもんですから・・・。

その代わりステアリングギアボックスなんかその分前に行っちゃいますから、届かないのでステアリング・シャフトをイモ付けですよ、溶接で。

危ないのはわかってるけれどもレース中は大丈夫だろうと言う事で。

計算なんかやってる暇ない訳です。

出来上がって村山のテストコースに行って走って・・・、もちろんこう言うクルマですから、人を殺すのはいやですからいつも自分が最初に乗るのですが、走り出したら、ハンドルを切っても曲がらないのです。

車線変更でハンドルを切ろうとすると乗り換えできない。

初めは動かない。

ようやくそれからパッと切れて、ガッといった。

ところが、今度は元に戻らない。いきすぎちゃって。おっかなくて走れない。

速度を出せば出す程そう言う状況になって、これはだめだ。

伸ばした所のねじり剛性が足りないのだ。

そこで補強して、固めて行きました。

色んな所を固めていく間に、言う事を聞くようになって来ました。

いや、よく走るな、と思ったのもつかの間、今度は駆動系がだめ。

アクセルを踏んだらリヤのタイヤがポンピングするのです。トントントンと行っちゃう。

よくよく観察したらデフのアタマが上下に動いちゃっているのです。

これじゃ走れない、と言う事で、あの頃はリヤが板バネですから、とにかくピッチングしないようにリヤアクスルとボディを繋ぐ棒をつけました。

この棒はいわゆるトラクション・ロッドでして、急加速するときにアクスルが捩れないように取り付けて、ピッチングをしないようにした。

ばねの中心を求めて、近似的に円になる様な所に大きなゴムで咥えてやったらピッチングが止まった。

そうしたら今度はものすごく速くなった。

鈴鹿へ持って行ったらすごく速い。

何だアレは、という話になって度肝を抜いた。

日産、トヨタ辺りはとんでもない事をプリンスはやったと。

外車の連中も付いて来れませんでした。

それはもう、良い調子でお祝いですよ。(桜井 眞一郎 氏の言葉より・・・)』

1963年(昭和38年)9月、2代目「PRINCE SKYLINE」 S50D-1型が登場する。

G1型 1484cc 水冷直列4気筒O.H.V.エンジンを搭載する、初代「PRINCE SKYLINE」の高級セダンとは一線をかき小型ファミリーセダンとして投入された。

モノコック構造を採用したボディのバリエーションは4ドアセダンとステーションワゴン(W50A-I型)の2種類。

当初、バンは「PRINCE SKYWAY」(V51A-I型)としてラインナップしていたが、後のマイナーチェンジで「PRINCE SKYLINE VAN」となった。

来るべき自家用車時代を読んで、当時、欧米に導入されつつあったメンテナンスフリー化を進め、40,000kmまたは2年間保証の封印エンジンや、30,000kmまたは1年間グリス・アップ不要のシャシー等、メンテナンスのフリー化が図られていた。



『S50と言うのは、今までのALSIだとかAISHだとかああ言う風にローマ字4桁から呼び方が変わりました。

セダンの50番目だから“ゴーマル”という呼び方に変わったのです。

S50と言うのは実は今までずっと続いてきた「SKYLINE」のルーツで、初代「SKYLINE」は「GLORIA」のルーツになっています。

当時、通商産業省のお役人から今作っているクルマの種類を増やさない様に・・・、と言う内示をされて、じゃぁ今までの「SKYLINE」は「NISSAN CEDRIC」、「TOYOTA CROWN」にぶつけて、S50は本当のファミリーカーをやろうと。

相手は「NISSAN BLUEBIRD」、「TOYOTA CORONA」。

本当のファミリーカーを作ろうと。

ファミリーカーとは何なんだと言うと、エンドユーザーの手足になってドライバーとコミュニケーションが十分取れて、尚やっかいな品物にならない。

出来ればボディの外板も汚れない様にとか、ワイパーなんかでガラスを拭かない様にだとか、人間の目だってワイパーなんか付いてないじゃないかとか・・・、いろいろ考えました。

自然の摂理の中でお客様に本当に自分のパートナーだと思ってもらえる様なクルマを作ろうと考えた訳です。

初代「SKYLINE」、或いは「GROLIA」で、グリスニップルが沢山あって大変苦しみましたから、動物は関節に油を注すと言う事もない、とにかくメンテナンスフリーをやろう。

また、いろんなスイッチ類等もリーチを計って楽に触れる様にしたり、メーターに反射しないように無反射にしたり・・・、結局一番大きかったのは、グリスアップという作業をやらなくても良い様にした事です。

もちろんプリンス自動車工業はブリヂストンの系列ですから、最初にチューブレスと言う物をやりました。

パンクをしない、メンテナンスフリーと言う事では業界の先鞭をきって大きなインパクトを与えたのでは、と思います。(桜井 眞一郎 氏の言葉より・・・)』



初代「SKYLINE」の設計段階において採用が検討されておりながら実際には採用されなかった丸型テールランプを採用。

次期 3代目「SKYLINE」では一時的に途絶えるものの、「SKYLINE」のテールランプは丸型と言った定説を築いたモデルでもあります。

初代「SKYLINE」では、サスペンション開発担当だった桜井 眞一郎 氏は、この2代目「SKYLINE」から車両開発主査となり、「SKYLINE」開発の指揮を取る事になります。

桜井 眞一郎 氏の自動車に対する熱い思いが、以後の「SKYLINE」神話を生む事にもなるのです。

余白

NISSAN PRINCE SKYLINE 1500Deluxe (S57D-3)

(4)S57型

赤バッジ

PRINCE SKYLINE 2000GT-A(S54A-2)

風格が自然ににじみでる年代の車 (当時のカタログより)

7周目のヘアピンカーブでポルシェを抜き去った瞬間

PRINCE SKYLINE 2000GT(S54B-2)

(3)S54型

(2)R52型

PRINCE SKYLINE(S50D-1)

PRINCE SKYLINE  (S50型、S54型、S57型)

PRINCE
SKYLINE
1500Deluxe
S50D-1型
PRINCE
SKYLINE
GT
S54-1型
PRINCE
SKYLINE
2000GT
S54B-2型
PRINCE
SKYLINE
2000GT-A
S54A-2型
NISSAN
PRINCE
SKYLINE
1500Deluxe
S57-3型
全長(mm) 4100 4300 4255 4255 4100
全幅(mm) 1495 1495 1495 1495 1495
全高(mm) 1435 1410 1410 1410 1425
ホイールベース(mm) 2390 2590 2590 2590 2390
トレッド(mm) Fr. 1255 
Rr. 1235
Fr. 1265 
Rr. 1235 
Fr. 1265
Rr. 1255
Fr. 1265
Rr. 1255
Fr. 1255
Rr. 1235
車両重量(kg) 960 1025 1070 1050 920
エンジン型式・種類 G1型
水冷直列4気筒
      O.H.V.
G7型
水冷直列6気筒
      O.H.C.
G7型
水冷直列6気筒
      O.H.C.
G7型
水冷直列6気筒
      O.H.C.
G15型
水冷直列4気筒
      O.H.C.
排気量(cc) 1484 1988 1988 1988 1483
内径X行程(mm) 75.4X84.0 75.0X75.0 75.0×75.0 75.0×75.0 82.0×70.2
圧縮比 8.3 8.8 9.3 8.8 8.5
燃料供給装置 2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
ウエーバー40DCOE
3連装
2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
最高出力(ps/rpm) 71/4800 105/5200 125/5600 105/5200 88/6000
最大トルク(kg・m/rpm) 11.5/3600 16.0/3600 17.0/4400 16.0/3600 12.2/4000
変速装置 前進3速
後退1速
前進4速
後退1速
前進4速(5速)
後退1速
前進4速
後退1速
前進3速
後退1速
変速比 第1速 
第2速 
第3速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
第5速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
後退 
終減速比          
クラッチ型式 乾式単板 乾式単板 乾式単板 乾式単板 乾式単板
フロントブレーキ型式 ドラム
ドラム ディスク ドラム ドラム
リヤブレーキ型式 ドラム ドラム ドラム ドラム ドラム
ステアリング歯車比          
フロント・サスペンション ダブルウィッシュボーン
& コイルスプリング
ダブルウィッシュボーン
& コイルスプリング
ダブルウィッシュボーン
& コイルスプリング
ダブルウィッシュボーン
& コイルスプリング
ダブルウィッシュボーン
& コイルスプリング
リヤ・サスペンション リジット・アクスル
& 半楕円リーフスプリング
ド・ディオン・アクスル
& 半楕円リーフスプリング
ド・ディオン・アクスル
& 半楕円リーフスプリング
ド・ディオン・アクスル
& 半楕円リーフスプリング
ド・ディオン・アクスル
& 半楕円リーフスプリング
タイヤ 5.60-13-4プライ 6.40-14 4プライ 7.00-14 4プライ 4.5Jx15 & 5.90-15 4PR 6.40-14 4プライ
備考 2000GT-Bと呼称変更
(1965年(昭和40年)9月〜)

1963年(昭和38年)、「PRINCE SKYLINE(S50型)」のシャシを利用し、イタリアのデザイナー スカリオーネがボディーデザインを担当した「SKYLINE 1900 Sprint」が完成。

エンジンは、”PRINCE GLORIA”に使用される”G2型 水冷直列4気筒 O.H.V. エンジン”を搭載している。

1963年(昭和38年)10月に開催された第10回 全日本自動車ショーに参考出品し、好評を博した。

(1)S50型

1966年(昭和41年)8月、プリンス自動車工業が日産自動車に吸収される形で合併。

これにより、PRINCE SKYLINEの名称は、NISSAN PRINCE SKYLINEに変更される事になります。

1965年(昭和40年)9月、 シングルキャブレーターを装着し、最高出力105psを発生するSKYLINE 2000GT-A(S54A-II型)を追加。

同年2月に発売されていたSKYLINE 2000GTはSKYLINE 2000GT-Bとされた。

この時、SKYLINE 2000GT-Aは青のGTエンブレム(通称、青バッジ)、SKYLINE 2000GT-Bは赤のGTエンブレム(通称、赤バッジ)を装着した。

PRINCE SKYLINE S50D-1型、S54-1型、S54B-2型、S54A-2型、S57D-3 諸元表

”SKYLINE” 2nd.モデルは、総販売台数は114,238台となった。

1967年(昭和42年)8月、 G1型 1484cc 水冷直列4気筒O.H.V.エンジンに替わり、G15型 1483cc 水冷直列4気筒O.H.C.エンジンを搭載するS57D-V型が登場。

このG15型 1483cc 水冷直列4気筒O.H.C.エンジンは、最高出力が88psであった。

また、同時に60,000km無給油シャシーとなっている。

マイナーチェンジを受けたNISSAN PRINCE SKYLINE

1966年(昭和41年)10月、 マイナーチェンジを実施。

若干の変更がなされ、外観上ではラジエーターグリルが横桟のデザインとされた。

NISSAN & PRINCEの合併

PRINCE SKYLINE 2000GT-Aのカタログ

PRINCE SKYLINE 2000GT-Bのカタログ

1965年(昭和40年)2月、 レースモデルと同等のウェーバー製キャブレーターを3連装し、最高出力125psを発生するSKYLINE 2000GT(後のS54B-II型)を発売。

PRINCE SKYLINE 2000GT(S54B-2)

メカニズムに精通している人が満足する車 (当時のカタログより)

GTクラス優勝のポルシェ カレラ904GTSは、プリンス自動車工業の日本グランプリ3冠を阻止するべく、トヨタ自動車が取り寄せた、との噂が出回った。

ポルシェ カレラ904GTSのドライバーは式場 壮吉であり、式場 荘吉は前年に開催された第1回日本グランプリの際にトヨタ自動車のワークスドライバーとして参加しているからである。

1969年(昭和39年)当時、東京新聞社の記者だった三本 和彦が、プリンス自動車工業のSKYLINE 2000GTを「羊の皮をかぶった狼」と記事のタイトルにし記載した。

行きすぎが大目に見られる年代の車 (当時のカタログより)

約1周、PRINCE SKYLINEがトップを走行

ポルシェがトップで第1コーナーへ・・・

第2回日本グランプリ スタートの瞬間

第2回日本グランプリ出場車

PRINCE SKYLINE 2000GT(S54B-2) コクピット

1963年(昭和38年)の第1回日本グランプリに、プリンス自動車工業はSKYLINE SPORTS(BLRA-3型)をほぼノーマルのまま出場させました。

これはメーカー間の過当競争を防ごうという日本自動車工業会の申し合せがあった為ですが、実際にはプリンス自動車工業以外のほとんどのメーカーが、ワークス体制でレース車両を開発しており、SKYLINE SPORTS(BLRA-3型)は惨敗を喫します。

1964年(昭和39年)5月 第2回日本グランプリGTクラス出場の為、より強力なGLORIA スーパー6用のG7型 1988cc 水冷直列6気筒O.H.C.エンジンを、ボディのフロント部を200mm延長して搭載したスカイラインGT(S54A-I型)を開発。

ホモロゲーション用に100台を生産し販売した。

ウエーバー40DCOE 3連装のG7型エンジン

PRINCE SKYLINE 2000GT(S54B-2)

PRINCE SKYLINE 1900 Sprint(R52)

1964年(昭和39年)4月、スタンダードモデルのS50S-1型を追加している。

PRINCE SKYLINE(S50D-1) エンジンルーム

PRINCE SKYLINE(S50D-1) コクピット

PRINCE SKYLINE(S50D-1) 当時のカタログより

PRINCE SKYLINE(S50D-1) 当時のカタログより

乗りっぱなしでも結構です

40,000kmまたは2年間保証の封印エンジン

PRINCE SKYLINE(S50D-1)

PRINCE SKYLINE(S50D-1)