NISSAN SKYLINE

(※印は、ワークスチーム)

1972年(昭和47年)03月20日に開催された”富士GC・300kmスピードレース”で苦しくも”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”(ドライバー 高橋 国光、ナンバー 15)が”MAZDA SAVANNA”を抑え 1位を獲得。

これにより”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10、KPGC10)”が”栄光の50勝”目を上げた。

1972年(昭和47年)5月3日に開催された”日本グランプリ ツーリングカーレース”に、東洋工業は”Racing 12A型ロータリーエンジン(48mmツインチョーク・ウェーバー付、240bhp/9000rpm)を搭載した”MAZDA SAVANNA”を3台出場させた。

このレースで”MAZDA SAVANNA”が上位1位〜3位を独占・・・。

”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”は東洋工業のロータリー勢に完敗した。

1972年(昭和47年)9月3日に開催された”GCシリーズ富士インター200マイルレース大会 スーパーツーリング TS-bcレース”において、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”と”MAZDA SAVANNA”と熾烈な戦いを繰り広げ、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”が1位を獲得。

1972年(昭和47年)10月22日に開催された”GCシリーズ 第4戦 富士マスターズ250キロレース大会 スーパーツーリング TS-bcレースでは、”MAZDA SAVANNA RX-3”がポール・ポジションを獲得。

再び”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”と東洋工業のロータリー勢、”MAZDA SAVANNA RX-3”とのトップ争いとなったのだがラップ14で周回遅れの”MAZDA SAVANNA RX-3”が”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”を巻き込み双方共にクラッシュし、リタイヤ・・・。

この結果、東洋工業の”MAZDA CAPELLA”が1位を獲得した。

この後、”NISSAN SKYLINE”は、1972年(昭和47年)9月にC110型にモデルチェンジした事もあり、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”のレースへの出場は徐々に減って行った。

開催日
(年月日)
大会名 レース名 クラス サーキット ナンバー 優勝ドライバー 周回数 予選順位
(タイム)
備考
01
1969.05.03 '69JAFグランプリレース TS W 富士 6km 39 篠原 孝道 30/30 8位
(2'15"58)
02
1969.06.29 富士300kmゴールデンIIレース セダン V 富士 6km 51 黒沢 元治 20/20 1位
(2'12"84)
03
1969.08.10 NETスピードカップレース TS U 富士 6km 20 都平 健二 20/20 1位
(2'14"42)
04 1969.08.24 ニッサン・サンデーレース T W 富士 6km 27 千代間 由親 20/20  
 
05 1969.08.31 富士300kmゴールデンIIIレース セダン V 富士 6km 64 長村 瑞臣 20/20  
 
06
1969.09.21 第12回全日本ストッカーレース 全日本T U 富士4.3km 2 都平 健二 24/25 3位
(1'45"44)
総合3位・クラス1位
07
1969.10.10 '69日本グランプリレース TS W 富士 6km 39 寺西 孝利 20/20 1位
(2'10"08)
08 1969.10.19 富士ツーリストトロフィーレース TT W 富士 6km 5 篠原/長村 133/133  
 
09
1969.11.03 全日本鈴鹿自動車レース 全日本U T 鈴鹿 6km 17 都平 健二 23/23 2位
(2'33"4)
10 1969.11.03 富士スピードフェスティバル セダン V 富士 6km 60 千代間 由親 16/16  
 
11 1969.12.14 富士100kmロードレース TSU 富士4.3km 56 長村 瑞臣 23/23  
 
総合5位・クラス1位
12
1970.01.15 富士フレッシュマンレース第1戦 MAX T TS 富士4.3km 11 久保田 洋史 12/12 2位
(1'43"52)
総合2位・クラス1位
13
1970.01.18 全日本鈴鹿300kmレース 全日本U T 鈴鹿 6km 16 高橋 国光 32/35 5位
(2'40"5)
総合3位・クラス1位
14
1970.03.08 全日本鈴鹿自動車レース 全日本U T 鈴鹿 6km 79 高橋 国光 24/25 1位
(2'38"3)
総合4位・クラス1位
15 1970.03.15 富士フレッシュマンレース第2戦 MAX T TS 富士4.3km 39 久保田 洋史 12/12 1位
(1'40"83)
16
1970.03.22  第13回全日本ストッカーレース 全日本T  U 富士4.3km 18 高橋 国光 25/25 1位
(1'38"99)
17 1970.04.05 全日本鈴鹿500kmレース TU 鈴鹿 6km 51 箕輪 真治 78/84 5位
(2'40"3)
総合5位・クラス1位
18
1970.04.12 レース・ド・ニッポン6時間 TSV 富士 6km 5 黒沢/砂子 157/159 1位
(2'28"22)
総合2位・クラス1位
19
1970.05.03 '70JAFグランプリレース T W 富士 6km 58 黒沢 元治 20/20 1位
(2'07"47)
20 1970.05.17 富士フレッシュマンレース第3戦  MAX T  TS 富士4.3km  15 塩谷 俊介 12/12 1位
(1'53"43)
総合2位・クラス1位
21 1970.05.24 全日本鈴鹿1000kmレース TU 鈴鹿 6km 45 久保田/箕輪 166/167 21位
2'41"3)
総合2位・クラス1位
22
1970.06.07 全日本富士300マイルレース 100マイルB V 富士 6km 11 長谷見 昌弘 25/25 1位
(2'10"26)
23
1970.06.28 第12回全日本クラブマンレース U TSIV 筑波 2km 45 星野 一義 40/40 3位
(1'09"32)
2ヒート制(2位/1位)
24
1970.07.05 北海道スピードウェイオープニングレース スポーツマン TS 北海道2.6 10 須田 祐弘 56/60 4位
(1'12"16)
総合4位・クラス1位
25
1970.07.12 全日本ドライバー選手権・第4戦 TU 筑波 2km 18 高橋 国光 50/50 1位
(1'07"51)
26 1970.07.19 ニッサン・サンデーレース 2 V 富士4.3km 5 久保田 洋史 25/25 3位
(1'44"35)
総合3位・クラス1位
27
1970.07.26 全日本富士1000kmレース TSV 富士4.3km 54 砂子/長谷見 20/20 4位
(1'39"30)
総合2位・クラス1位
28
1970.08.23 全日本鈴鹿12時間レース TU 鈴鹿 6km 25 高橋/都平 20/20 1位
(2'14"42)
29 1970.08.23 富士フレッシュマンレース第4戦 MAXT TS 富士4.3km 39 久保田 洋史 12/12 5位
(1'43"49)
30 1970.09.06 富士インターナショナル200マイル 100マイルB V 富士 6km 18 杉崎 直司 25/25 1位
(2'10"41)
31 1970.09.27 富士フレッシュマンレース第5戦 MAXT TS 富士4.3km 8 久保田 洋史 12/12  
 
総合3位・クラス1位
32 1970.10.10 日本オールスターレース シルバーB U 富士 6km 22 杉崎 直司 25/25 5位
(2'11"68)
33
1970.11.03 全日本鈴鹿自動車レース 全日本II T 鈴鹿 6km 69 高橋 国光 24/24 1位
(2'28"7)
34
1970.11.03 富士ツーリストトロフィーレース W 富士 6km 2 北野/長谷見 133/133  
 
35 1970.11.15 富士フレッシュマンレース第7戦 MAXT TS 富士4.3km 40 久保田 洋史 12/12  
 
36
1971.01.10 全日本鈴鹿300kmレース 全日本II TS 鈴鹿 6km 2 長谷見 昌弘 50/50 6位
(2'30"7)
総合2位・クラス1位
37
1971.03.07 全日本鈴鹿自動車レース 全日本II T 鈴鹿 6km 65 黒沢 元治 24/25 3位
(2'26"6)
総合5位、H/Tデビュー
38
1971.03.21 ストッカー富士300kmレース 全日本T 富士4.3km 17 長谷見 昌弘 25/25 1位
(1'35"15)
H/T
39
1971.04.11 レース・ド・ニッポン 6時間 TSV 富士 6km 5 歳森/星野 158/164 3位
(2'03"34)
総合3位、H/T
40 1971.04.25 富士GC・300kmスピードレース Tc-B U 富士 6km 8 久保田 洋史 25/25 1位
(1'07"30)
H/T
41
1971.05.03 '71日本グランプリレース T・b 富士 6km 6 高橋 国光 15/15 1位
(2'02"25)
H/T
42 1971.05.16 富士フレッシュマンレース第3戦 MAXT U 富士4.3km 9 正谷 栄邦 12/12 1位 (1'39"61) H/T
43 1971.05.23 ニッサン・オールスターレースI スカイライン 富士 6km 34 河原 伸光 20/20 4位
(2'12"07)
H/T
44
1971.06.06 富士GC・300マイルレース Tc-B U 富士 6km 17 黒沢 元治 15/15 1位
(2'04"49)
H/T
45
1971.07.18 ストッカー筑波100kmレース 全日本II T 筑波 2km 5 長谷見 昌弘 70/70 2位
( 50"16)
H/T
46 1971.07.18 ニッサン・オールスターレースII F&S 富士 6km 33 久保田 洋史 20/20 6位
(2'09"48)
H/T
47
1971.08.22 鈴鹿グレート20ドライバーズレース TS 鈴鹿 6km 29 黒沢 元治 19/20 13位
(2'27"8)
総合7位、H/T
48 1971.09.05 富士GC・インター200マイルレース Tc-B U 富士 6km 2 久保田 洋史 25/25 5位
(2'06"95)
H/T
49
1971.10.10 富士GC・マスターズ250kmレース Tc-B U 富士 6km 3 黒沢 元治 20/20 2位
(2'01"92)
H/T
50
1972.03.20 富士GC・300kmスピードレース スーパーT C 富士 6km 15 高橋 国光 12/12 1位
(2'00"41)
H/T

1990年から世紀を超えて、グループAやJGTCのレースシーンで見せた第2世代のR32〜34型 NISSAN SKYLINE GT-Rの戦いは、幾多のタイトルを獲得し、正に栄光への疾走だった。

それは第1世代のNISSAN SKYLINE 2000 GT-Rによって、1960年代後半〜1970年代初頭に築かれた、あの輝かしい50勝の再来とも言えるものだった。  その栄光の礎を築いたNISSAN SKYLINE 2000 GT-Rの第1世代は、当時の持てるレーステクノロジーの粋を集めて誕生した。

1968年8月、S57型からC10型へフルモデルチェンジされたNISSAN SKYLINE、1969年2月、往年の2000 GT-Bのようなホットバージョン「スカイライン2000 GT-R」(PGC10型)が追加設定される。

高性能エンジンを惜しみなく投入する手法はGT-Bと同じだったが、新たなGT-Rに用意されたエンジンのスペックは驚愕すべきものだった。

何とレーシングプロトR380に搭載されたGR8エンジンの流れをくむ、S20型エンジンというスペシャルエンジンが新たに採用されたのだ。

S20型エンジンは、直列6気筒D.O.H.C.で24バルブという当時としては非常に高度な機構を持ち、排気量を82.0mm×62.8mmのボアストロークから1989ccとし、これにソレックスキャブレターを組み合わせて160馬力を発揮した。

“6気筒でなければGT-Rにあらず”と言う伝統はこの時からスタートしたが、S20型エンジンと一心同体となってGT-Rの個性が大きく形づくられて行った。

レースの申し子として生を受けたGT-Rだったが、初期型のPGC10は4ドアモデルのみで、大きく削られたリアフェンダーのホイールアーチが特徴だった。

レースでは発売から3か月も経っていない5月3日に、富士スピードウェイで行われたJAFグランプリがデビュー戦となり、大挙して出場したクラブマンレース(TS)では篠原孝道のワークスGT-Rがライバルのトヨタ1600GTを破って記念すべきデビューウィンを飾った。

これが「栄光の50勝」の第一歩だった。

1968年(昭和43年)10月。

2000 GT(GC10型)を追加。

2代目「PRINCE SKYLINE」(S50型系)と同様に、バルクヘッド前よりホイールベースを延長している。

エンジンはプリンス自動車工業からの流れを汲むものではなく、日産自動車系のL20型 水冷直列6気筒O.H.C. 2000ccのエンジンを搭載する。

サスペンションは、フロントがストラット、リアがセミトレーリングアームとされ、4輪独立懸架となった。



『あれは3代目のスカイラインだったかなぁ。

私が課長の頃ですよ、ゴルフが面白くてよく行った。

荒川の河原に都民ゴルフってのがあって、自分でカートを引っ張って、川を挟んで両側でできるんですよね。

千円札持っていくと、2ラウンドくらい朝早くから暗くなるまでできる。

よく若いヤツらと行きました。

たまたま中古車が手に入った頃で、みんなを乗せて行くのです。

雨が降ったって何だってヤッちゃう。

グチャグチャになってもやりました。

カラダ中濡れてパンツが濡れても、それでも止めない。

終わってから若い衆を各家まで送って行くわけです。

雨が降っていますから、いちいちエンジン止めて、キーでトランクを開けて荷物を渡して、また閉めて、エンジンキーを挿して、なんていうことを3人くらいしたら、お風呂に入ってすっきりした自分がグチャグチャになっちゃって。

ガソリン代出してクルマ提供して、若い衆を送り届けているのに、その上オレだけが芯まで濡れるのは、これはまかりならん、と。

だけどゴルフをやめる気はない。

でも雨が降るたびにこれじゃかなわない。

こっちは運転席に座っていて適当に荷物だけ持っていってくれればいい、とトランクオープナーというのを考えたのです。

ソレノイドでロックを開けるようにすると、三千何百円とか掛かるのです。

これは値段が高くて付けられない。

ヒモで引っ張ることを次に考えた。

原価を計算したら400円でした。

今でも覚えていますが。
これやろう! と。

日産と合併していましたから営業本部にこういう仕様をやりたいと提案しました。

するとストップが掛った。  なぜだと聞いたら、ブルーバードがやってないからだと。

それをスカイラインが先にやるなんて、勘弁できねーと。

ガンバって良いモノをつくっても、スカイラインは妾の連れ子だから、本妻の子供よりよくできるような子供はダメだと。

いじめられるんですよ。

しょうがないなと思ったけれど悔しくて、もうクビになってもいいと・・・。

1968年(昭和43年)7月・・・。

日産自動車とプリンス自動車工業が合併後、初めてとなるモデルチェンジを行い、3代目「NISSAN SKYLINE」が登場した。

3代目「NISSAN SKYLINE」は、ファミリーユースとスポーツ性を両立させるという開発コンセプトをさらに昇華させ、より快適なグランツーリスモとして成長を遂げた。

テレビコマーシャルでは、「愛のスカイライン」のメッセージで、若いカップルが遠くへ旅に出たストーリーを描き、パートナーとドライブを楽しむクルマ、というイメージを定着させる。

プリンス自動車工業から引き継ぐ形となったG15型 水冷直列4気筒O.H.C. 1500ccのエンジンを搭載する1500(C10型)、エステート(WC10型)、バン(VC10型))を発売。

1500(C10型)のグレード展開は、スタンダードとデラックスの2種類だったが、デラックスはシート形状とトランスミッションの変速ギヤ数により、ファミリーデラックス(3速コラムシフト、ベンチシート)、ツーリングデラックス(3速コラムシフト、セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト、セパレートシート)の3種類に細分化されていた。  また、デラックスには女性仕様の「Lパック」がメーカーオプションとして用意されていた。

足回りはフロント側がストラット式独立懸架式、リア側はリーフリジット式を採用している。

ドライバーズシート

リヤエンブレム

搭載される S20型エンジン

NISSAN SKYLINE 1800 H/T( KPC10型)

(5)KPC10

R380に搭載されるGR8型エンジン(ウェーバーキャブ仕様)

NISSAN SKYLINE GT-R (PGC10型)  当時のカタログより

NISSAN SKYLINE 2000 GT (GC10型)

NISSAN SKYLINE  (C10型、GC10型、PGC10型、PC10型、KPC10型、KGC10型、KPGC10型)

図面描かせてサインして工場に流せばつくれるのだ、クビにでもなんでもしろ、と図面描きましたよ。

後に社長になった石原(俊)さんが副社長のときに、次のスカイラインが出来上がって見にきたわけですよ。

そこで試作車を広場に置いて、プリンスと違って副社長がくるというと金魚のフンみたいにゾロゾロとみんなついてくる。

あのダミ声で「桜井君、これはなんだ」というわけです。

「これはひっぱるとトランクが開くのです」「そんなことできるわけないじゃないか」という。

そういうの当たり前なんですよ。

設計でもアレをやろうと思ったらやっぱり反対なんです。

エンジンのボンネットを開けるのだってあんなに重い。

それを曲がりくねったワイヤーを通してトランクを引っ張れるわけがない、と。

わたしはそのとき反対した設計屋のヤツに頭に来ました。

理論的に成り立ちませんよ、桜井さん、と。

そうか、理論的に成り立たないのか、そりゃ困るな、じゃオレが設計するからお前は手を出すなと。

自分で絵を描いたのです。

ただ、・・・リヤシートのところでえらく曲がってるわけです。

またトランクのなかを壁にそって這っていくものですから、確かにぐにゃぐにゃして、フリクションが多くて動かないのは当たり前なのです。

よし、じゃあチューブとワイヤーの間に潤滑剤を入れちゃおうと。

ボンネットより閉めてるときの反力がトランクは弱い。だから引っ張る力は弱くていいのです。

それでやったら開いちゃうのです。

触ったくらいで開いちゃう。

これいいやと取り付けして、設計者にも見せたら、頭下げられちゃいました。

申し訳ありませんでした。  というので・・・お前の理論的という理論とはなんだ、と。

何もいわなくなっちゃって・・・。

もう手を出さないでください、わたしたちがやりますから、と設計者が自分で図面を描き出しましたよ。

それで試作ができて、石原副社長が触ってるんですよ、レバーを。

「何だコレは」、「後ろのトランクが開くんですよ」。

やってみようか、というので「副社長、さっきから触ってらっしゃるから、もう開いてますよ」と「いや、だって何もチカラ入れてないぞ、そんなバカな、閉まってなかったんだろう」というので・・・、もう一回閉めてもう一度やってみますかといって、閉めた。

そして彼がまた触ったらパカーンとあいたわけです。

びっくりしまして、こんなことができるのかと。

わたしはゴルフにいって若い連中の家をみんなまわってパンツまで濡れちゃうから悔しいからつくったのです、といいました。

これはいい、すぐやれと(副社長が)いうわけですが、やっちゃいけないといった連中がとり巻いているわけですよ。

そこでわたしは大きな声で「すぐ手配して生産にのせますから!」くしゅーんとしましたよ。

それでやったのですが、やってからが大変でしたね。

この連中は組合に言いつけたんです。

組合からとんでもないことやったということで呼びつけられました。

反対を押し切ってやったそうじゃないかと。

わたしは「日産自動車が他社にないものを先にやることでイメージを上げているのだから文句言われる筋合いない!」と組合とケンカしたわけです。

組合はさすがですね「わかった、言うとおりだ」と。

本社の営業連中は大反対していましたが、手配しました。

そうしたら発表した後にトヨタから電話がありまして「あのトランクオープナーには参りました。

開発のトップから大変しかられた。

ヒモで引っ張って開けているじゃないかと。

スカイラインは何でもよそにないものをやるので、発表寸前でいいからひとこと教えてよ、そうすれば返事のしようもあるし、絶対まねすることも時間が経たない限りしないから」といわれまして・・・。

とうとう今では世界中のクルマが全部アレを付けるようになりましたね。(桜井 眞一郎 氏の言葉より・・・)』

(1)C10型

NISSAN
SKYLINE
1500Deluxe
C10型
NISSAN
SKYLINE
2000 GT
GC10型
NISSAN
SKYLINE
1800
Sporty Deluxe
PC10型
NISSAN
SKYLINE
1800
Sporty Deluxe
H/T
KPC10型
NISSAN
PRINCE
SKYLINE
2000 GT
H/T
KGC10型
全長(mm) 4430 4325(4330) 4330
全幅(mm) 1595 1595 1595
全高(mm) 1390 1405 1375
ホイールベース(mm) 2640 2490 2570
トレッド(mm) Fr.  
Rr. 
Fr. 1325 
Rr. 1320 
Fr. 
Rr. 
Fr. 1325
Rr. 1320
Fr. 1325
Rr. 1325
車両重量(kg) 1090 965(985) 1080(1095)
エンジン型式・種類 G15型
水冷直列4気筒
     O.H.C.      
L20型
水冷直列6気筒
     O.H.C.
G18型
水冷直列4気筒
     O.H.C.
G18型
水冷直列4気筒
      O.H.C.
L20型
水冷直列6気筒
      O.H.C.
排気量(cc) 1483 1998 1815 1815 1998
内径X行程(mm) 82.0×70.2 78.0X69.7 85.0×80.0 85.0×80.0 78.0×69.7
圧縮比 8.5 9.0 8.3 8.3 9.0
燃料供給装置 2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
2バレル・
シングル・
キャブレーター
(S.U. ×2)
最高出力(ps/rpm) 88/6000 105/5200 100(105)/5600 100(105)/5600 120(130)/6000
最大トルク(kg・m/rpm) 12.2/4000 16.0/3600 15.0/3600 15.0/3600 17.0(17.5)/4000
変速装置 前進3速
後退1速
前進4速
後退1速
前進4速
後退1速
前進4速
後退1速
前進4速(5速)
後退1速
変速比 第1速 
第2速 
第3速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
第5速
後退 
終減速比          
クラッチ型式 乾式単板 乾式単板 乾式単板 乾式単板 乾式単板
フロントブレーキ型式 ディスク
ディスク ディスク ディスク ディスク
リヤブレーキ型式 ドラム ドラム ドラム ドラム ドラム
ステアリング歯車比          
フロント・サスペンション マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
リヤ・サスペンション リジッド・アクスル
& 半楕円リーフ

セミトレーリング・アーム
& コイル
リジッド・アクスル
& 半楕円リーフ
リジッド・アクスル
& 半楕円リーフ
セミトレーリング・アーム
& コイル
タイヤ 6.15-14 4プライ 6.15-14 4プライ 6.15-14 4プライ 6.45S-14 4プライ
備考 ( )内は、
1971年(昭和46年)9月〜
( )内は、GT-X
NISSAN
SKYLINE
2000 GT-R
PGC10型
NISSAN
SKYLINE
2000 GT-R
H/T
KPGC10型
NISSAN
SKYLINE
2000 GT-R
H/T
KPGC10型
全長(mm) 4395 4330 4460
全幅(mm) 1610 1665 1695
全高(mm) 1385 1370 1396
ホイールベース(mm) 2640 2570 2610
トレッド(mm) Fr.1370  
Rr.1365 
Fr. 1370 
Rr. 1365 
Fr.1395
Rr.1375
車両重量(kg) 1120 1100 1145
エンジン型式・種類 S20型
水冷直列6気筒
     D.O.H.C.      
S20型
水冷直列6気筒
     D.O.H.C. 
S20型
水冷直列6気筒
     D.O.H.C. 
排気量(cc) 1989 1989 1989
内径X行程(mm) 82.0×62.8 82.0×62.8 82.0×62.8
圧縮比 9.5 9.5(9.0) 9.5
燃料供給装置 ミクニソレックス
N40PHH×3
ミクニソレックス
N40PHH×3
ミクニソレックス
N40PHH×3
最高出力(ps/rpm) 160/7000 160/7000(155/7000) 160/7000
最大トルク(kg・m/rpm) 18.0/5600 18.0/5600 18.0/5600
変速装置 前進5速
後退1速
前進5速
後退1速
前進5速
後退1速
変速比 第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
第5速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
第5速 
後退 
第1速 
第2速 
第3速 
第4速 
第5速 
後退 
終減速比    
クラッチ型式 乾式単板 乾式単板 乾式単板
フロントブレーキ型式 ディスク
ディスク ディスク
リヤブレーキ型式 ドラム ドラム ディスク
ステアリング歯車比    
フロント・サスペンション マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
マクファーソン・ストラット
& コイル
スタビライザー
リヤ・サスペンション セミトレーリング・アーム
& コイル
セミトレーリング・アーム
& コイル
セミトレーリング・アーム
& コイル
スタビライザー
タイヤ 6.15-14 4プライ 6.15-14 4プライ 175HR14
備考 ( )内は、
レギュラーガソリン仕様
1973年(昭和48年)1月〜

(4)PC10型

余白

”SKYLINE” 3rd.モデルは、総販売台数は310,447台(内、GT-Rは1,945台)となった。


NISSAN SKYLINE C10型、GC10型、PC10型、KPC10型、KGC10型 諸元表

1968年(昭和43年)7月に発売を開始した 3代目”NISSAN SKYLINE”・・・。

テレビコマーシャルでは、”愛のスカイライン”のキャッチコピーが与えられ、 ボクシーになったスタイリングに合わせて、”ハコスカ”の愛称も誕生した。

1972年(昭和47年)9月、モデルチェンジが実施され 4代目”NISSAN SKYLINE”へと変貌を遂げ、3代目”NISSAN SKYLINE”の生産は終了されるが、この 3代目”NISSAN SKYLINE”は、現在でも俗に言う”旧車”の中で最も知名度と人気が高いモデルとなっている。

櫻井 眞一郎 氏とSKYLINE GT-R

MAZDA SAVANNNAが上位3位までを独占・・・

1970年(昭和45年)05月03日に開催された”1970 JAF グランプリレース”より、東洋工業が”MAZDA FAMILIA ROTARY (R100)”で”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10)”に直接対決を挑んで来た。

”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10)”に対し”MAZDA FAMILIA ROTARY (R100)”は、224bhp/10,000rpmを発揮する”10A型ロータリーエンジンを搭載し、富士スピードウェイ グランドスタンド前の直線では圧倒的な走りをみせる。

しかし、”MAZDA FAMILIA ROTARY (R100)”はレース仕様らしからぬサスペンションとキャブレター仕様にもたつき、コーナーでは3輪走行の状態となり”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10)”に抜き返される展開となる。

結局、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10)”が1位と2位、”MAZDA FAMILIA ROTARY (R100)”は3位となった。

”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10)”は、この先 東洋工業のロータリー勢に苦しめられて行く事となります。

1971年(昭和46年)12月12日に開催された”第6回富士ツーリスト・トロフィーレース”に、東洋工業は3台の”MAZDA CAPELLA”と ”10A型ロータリーエンジン”を搭載した1台の”MAZDA SAVANNA”で参戦した。

”MAZDA SAVANNA”は、”MAZDA FAMILIA ROTARY (R100)”の苦い経験からリアサスペンションにワットリンクを採用し、大幅にコーナリング性能を向上・・・、戦闘力を一層高めていた。

日産自動車、東洋工業ともに次々とワークスマシンがリタイアしていく中、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”(ドライバー 久保田/杉崎) 対  ”MAZDA SAVANNA”との一騎打ちとなる。

レース終盤の最後で”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10)”はトラブルに見舞われ、”MAZDA SAVANNA”が1位を獲得・・・。  ”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10、KPGC10)”の50連勝を阻止した。 

東洋工業がファミリアロータリーで参入を開始

”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10型、KPGC10型)” 栄光の50勝の記録

やったぜ!! スカG 不滅の記録50勝

通算50勝目を挙げた高橋 国光の操るKPGC10型

無敵の強さを誇る”GT-R”

「”SKYLINE”の敵は”SKYLINE”・・・」とまで言われたNISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10型、KPGC10型)。

2年10ヵ月で49連勝を含む50勝を挙げた偉業は、日本国のレース史に燦然と輝く金字塔となりました。

最初の1勝目は、1969年(昭和44年)5月3日に富士スピードウェイで開催された”1969年 JAF GP  TS-b レース・・・。

この時に出場した”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”は 4ドアモデルの”PGC10型”でした。

1969年(昭和44年)10月に開催された”日本グランプリ”からは、出場する”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”は従来のキャブレータ仕様からフューエルインジェクション仕様となり、最高出力が230ps/8,400rpmに引き上げられ戦闘力が更にアップし、寺西孝利が通算7勝目を獲得。

以降、高橋国光、都平健二、黒沢元治、砂子義一、北野元、長谷見昌弘、星野一義 等のそうそうたるNISSANのワークスドライバーや、有力プライベーター達のドライビングによって勝利数を加算し続けた。

1970年(昭和45年)10月のマイナーチェンジによって、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”は 2ドアハードトップのみとなった。

翌年の1971年(昭和46年)3月に開催された”全日本鈴鹿自動車レース”からは、ワークスカーもオーバーフェンダーが精悍さを醸し出すハードトップモデルに移行した。

登場以来2年を経て新たなモデルも登場し、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”の開発も一段と進み、搭載される”S20型エンジン”は、ルーカス製のフューエルインジェクションを装備し250馬力を発揮するまでに熟成された。

ブレーキはFr./ガーリングタイプのソリッドディスク、Rr./ドラムというシンプルな構成だったが、足回りはFr./ストラット、Rr./セミトレーリングアームであり、バランスのとれた2570mmというホイールベースから操縦性が向上し、これらが相乗効果となって勝利を引き寄せる原動力となった。

注目の連勝記録は49(ワークスの連勝は29)でストップしましたが、すぐ次のレースで50勝が達成されました。

記念すべき50勝目は、1972年(昭和47年)3月20日に開催された”富士GCシリーズ 第1戦 富士300kmスピードレース”・・・。

激しい雨と風で20周から12周にレースが短縮される中、カーナンバー15を付けた高橋国光選手の”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”が水しぶきを上げながら栄光のチェッカーフラッグの下を駆け抜けました。

KPGC10型 レース仕様

コンソールオーナメント

リヤピラーオーナメント

フロントエンブレム

NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10型)

NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10型)

1970年(昭和45年)10月・・・。

2ドアハードトップを1800シリーズ(KPC10型)、及び2000 GTシリーズ(KGC10型)に追加した”NISSAN SKYLINE”・・・。

同時に”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”も 2ドアハードトップとされた。

これにより”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”は、セダン(PGC10型)からハードトップ(KPGC10型)へ変更され、”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R”は 2ドアハードトップのみの設定とされた。

”NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10型)”の 2ドアハードトップは、セダンにの”NISSAN SKYLINE  2000GT-R (PGC10型)”に対し、ホイールベースを70mm短縮した事により大幅に運動性能が向上している。

NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (KPGC10型)

NISSAN SKYLINE 2000 GT H/T( KGC10型)

1970年(昭和45年)10月・・・。

1800シリーズのKPC10型と同様に、2000 GTシリーズにも 2ドアハードトップが設定され、形式も1800シリーズと同様に2ドアハードトップの意味を持つ”K”が形式の前に付され KGC10型とされた。

NISSAN SKYLINE 1800 H/T( KPC10型)

1970年(昭和45年)10月・・・。

セダンのみの設定だったNISSAN SKYLINE (C10型系)に、新たに 2ドアハードトップを設定し発売した。

1800シリーズはKPC10型とされ、従来のセダンPC10型の前に 2ドアハードトップの意味を持つ”K”を付して区分されている。

NISSAN SKYLINE 1800 H/T( KPC10型)

マイナーチェンジ後のリヤビュー

マイナーチェンジを受けワンピースグリルに変更

1969年(昭和44年)10月に マイナーチェンジを実
施。

フロントグリルを、従来の複数のパーツを組み合
わせたものではなく、いわゆるワンピースグリル
に変更している。

GT-R(PGC10型)が発売された1969年(昭和44年)2月、同月に1800シリーズを追加発売している。

NISSAN LAURELに既に搭載されていたプリンス自動車工業系の水冷直列4気筒O.H.C.1800cc G18型エンジンを搭載する。

「1800スポーティデラックス」にGTの装備品を加えた「スポーティS」なるグレードも設定されていたが、エンジンはシングルキャブのままとされた。

PRINCE R380 (第3回 日本GP優勝車)

レースシーンでのNISSAN SKYLINE GT-R(富士 30°バンク)

TOYOTA 1600GTとのバトルを死闘

栄光の50勝へと駆け上がるデビュー戦での活躍の様子

GT-R

Skyline GT

1968年(昭和43年)10月・・・。

第15回東京モーターショーに、コンセプトカーとして「NISSAN SKYLINE GTレーシング仕様」が出品される。

1969年(昭和44年)2月・・・。

前年の第15回東京モーターショーにコンセプトカーとして出品された「NISSAN SKYLINE GTレーシング仕様」を実際の市場に投入。

S20型 水冷直列6気筒 4バルブD.O.H.C. 2000ccのエンジンを搭載した「NISSAN SKYLINE 2000 GT-R(PGC10型)」の登場である。

「NISSAN SKYLINE 2000 GT-R(PGC10型)」のカタログは、「NISSAN R380A-III」を登場させる等し、レーシング直系を強烈に印象付けた。

「NISSAN SKYLINE 2000 GT(GC10型)」との外観での差異は、大きくなったタイヤサイズに対応する為にリアフェンダーのサーフィンラインがカットされている。

他にも、ウインドシールドを始めとしたウインドウガラスが、青色の熱線吸収タイプではなく、リヤの曇り止め用プリント式熱線も無い事。

モール類が装備されない点等である。

搭載されるS20型エンジン

NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10型)

(2)GC10型

NISSAN SKYLINE 2000 GT コンソール

NISSAN SKYLINE 2000 GT ステアリング

NISSAN SKYLINE 2000 GT コックピット

搭載されるL20型エンジン

搭載されるG15型エンジン

NISSAN SKYLINE 1500 DELUXE (C10型)

NISSAN SKYLINE 1500 DELUXE (C10型)

NISSAN SKYLINE PGC10型、KPGC10型 諸元表

NISSAN SKYLINE 2000 GT-Rが初めて敗れる

コクピット

(7)KPGC10

NISSAN SKYLINE 2000 GT H/T( KGC10型)

(6)KGC10

NISSAN SKYLINE 2000 GT-R (PGC10型)

(3)PGC10型

NISSAN SKYLINE 2000 GT (GC10型)

NISSAN SKYLINE VAN (VC10型)